
戦後80年、戦争の記憶をつなぐことの難しさに静岡県内でも多くの人が向き合っています。静岡県伊東市の温泉旅館では戦争遺跡を平和的に活用し、当時の様子をいまに伝えています。
<語り部>
「焼夷弾は一発がすっと落ちると途中で線香花火のように何発にも分かれて、浜松の街を焼き尽くしました」
浜松市で開かれた戦争の記憶をつなぐ交流会です。戦争の記憶を共有し、平和の大切さについて考えてもらいたい。70代から100歳の戦争体験者と、「かたりべの会浜松」のメンバーが地元の中学生に当時の記憶や証言を伝えました。
<戦争体験者>
「おじさんおばさん、子どもたちみんな念仏唱えながら助けてください助けてくださいって」
<中学生>
「学校の授業では分からない、戦争を体験した人しか分からない話を聞けたので、参加してよかった」
<中学生>
「(戦時中の)生活の苦しさとか身内の人がどんどん死んでしまっているっていう戦争の怖さは伝えていきたい」
戦時中のことを知る人が少なくなるなか、当時の様子を今に伝えるのが戦争遺跡です。JR伊東駅からほど近い老舗旅館「大東館」です。
<東部総局 竹川知佳記者>
「こちら、貸し切り風呂につながる通路の入り口なんですが、表示を見ると『防空壕』と書いてあります。では、中に進んでみます」
約60年前、旅館を増築する際に発見された防空壕です。
<竹川記者>
「当時使われた跡は残っているんですか?」
<大東館 伊藤晴美さん>
「こちらの穴が、会議室や貯蔵庫として使用されていた一部となります。壊してしまうこともできたが、後世に残していきたいということで、見学のできる通り抜けの通路として使用している」
この防空壕は総延長は300メートルほど。伊東市や熱海市に30か所ほど掘られたもののひとつで、旅館では入り口付近の約30メートルを温泉への通路として利用しています。
戦時中は逃げ込む場所ではなく貯蔵庫や軍本部の会議室として使われていました。旅館には戦後80年をきっかけに訪れる客もいるといいます。
<伊藤さん>
「当館にお越しいただいたお客様、お子さま、お父さまお母さまが、こういうところがあったんだねと、(戦争の遺構に)家族で触れ合える場所になればと思っている」
戦争体験者と同じように全国でその数を減らす戦争遺跡。多くの人に見てもらい、後世につなげていくひとつの取り組みです。