
太平洋戦争末期の1945年5月、アメリカ軍の爆撃機「B29」が日本の戦闘機の体当たり攻撃によって静岡県川根本町に墜落しました。当時の様子を目撃した男性たちがその惨状を語りました。
<海野泰一さん>
「火の玉になりましてね、あの辺りで、ぐるぐる回転しながら落ちるのを、見ているですよね、あの辺りに落ちたのをね。パラシュートがね、ふわ~っと降りたのを見たですよね」
静岡県川根本町に住む海野泰一さん92歳です。12歳の時、アメリカ軍の「B29」が墜落する瞬間を目撃しました。
「B29」は、原爆を投下した大型爆撃機です。太平洋戦争末期の1945年5月29日、「B29」は横浜を爆撃するため川根本町の上空を通過。警戒のために飛行していた日本軍の「屠龍(とりゅう)」が体当たり攻撃をしました。B29の機体は、約2キロメートル四方に飛び散り民家や旅館など5軒を焼きました。
墜落した日、惨状を目の当たりにした竹野達三さん91歳です。
<竹野達三さん>
「この辺りだったと思います。米軍の若い兵士が亡くなって、土手に寝ていました。敵の兵隊さんっちゅうよりね、こんな事故で亡くなっちゃうなんて、本当に悲しいと思ったよ、子ども心には」
B29のアメリカ兵9人と屠龍に乗っていた日本兵と朝鮮学徒兵が死亡。パラシュートで降りたアメリカ兵2人は捕虜として名古屋に連行されました。
<竹野さん>
「あの時、実際にね、遺体が並んでいるのを見た人、それこそ海野さん以外、もういないんじゃないか」
<海野さん>
「そうかもしれませんね」
「ほとんど、この辺でそういう友達も亡くなっちゃった」
この空中戦を描いたのは元少年飛行兵だった画家でした。同じ元少年飛行兵の川根本町出身の男性が26年前、町に寄贈しました。
<川根本町役場 デジタル推進課 服部了士課長>
「川根本町にも刻まれた戦争の記憶がございます。そうした記憶を今後もつないでいこうと展示しています」
この日は、地元の子ども達が見学に来ました。
<海野さん>
「私は6年生の時、この光景を見ているんですよ、B29が空中分解して落ちるのをここで見ていた」
<竹野さん>
「ぼくが見たのは三角形で5機、ダダダダって機関銃の、機銃の、ここにあるこれ」
2人は子どもたちに故郷に残る戦争の記憶を語りました。
<小学生>
「アメリカの戦闘機が落ちて、被害はどのくらいありましたか?」
<竹野さん>
「お家が焼けた、焼夷弾が落ちて道に突き刺さっていて、不発弾もあったりして」
終戦後、小学生たちがその不発弾を拾って爆発し、1人が亡くなり、2人が大けがをしたとされています。
<小学生>
「あまりここの戦争の話を知らなかったので、昔の戦争のことを知れたので良かった」
<小学生>
「日本の近くとか日本で戦争があったら怖いと思った」
<小学生>
「ありがとうございました!」
<海野さん>
「こんなことがね、起きたじゃ困るよね、今からね」
<竹野さん>
「こんなこと絶対起きないようにね」
この空中戦を描いた絵は8月31日まで川根本町文化会館で特別展示しています。