
80年前、静岡市で約2000人の命が奪われた静岡空襲の犠牲者を悼む日米合同慰霊祭が行われました。かつての敵国同士がともに祈りを捧げる貴重な場ですが、いま、この慰霊祭が大きな転機に差し掛かっています。
すがすがしい青空のもと響いたのは鎮魂の音。6月21日、静岡市葵区で開かれた静岡空襲を巡る日米合同慰霊祭です。
1945年の6月20日未明にかけて起きた静岡空襲。市民約2000人が犠牲になったほか、空中で衝突したアメリカ軍のB29の搭乗員23人が亡くなりました。
日米双方の犠牲者を悼む慰霊碑の前で執り行われるセレモニーを半世紀以上に渡り主催してきたのが菅野寛也さんです。菅野さんは静岡市の開業医。これまで地域医療を支える傍ら、静岡空襲にまつわる資料集めを続けてきました。
<慰霊祭を主催する 菅野寛也さん>
「これは墜落した米兵の遺骨をどういう風に静岡の市民がねんごろに慰霊したかという1つの証拠かもしれないけど」
静岡空襲を経験している菅野さん。忘れられない光景がB29の墜落現場で見た搭乗員の遺体です。
<菅野さん>
「背中だけ見ました。何秒か見てるうちに『あ、こいつらも犠牲者だ、かわいそうだな』と」
軍医だった祖父に教えられたのは「敵兵を看護する医者になれ」。菅野さんが子どものころに受けた強烈な体験と教訓が、いまの日米合同慰霊祭につながっているのです。ただ、この慰霊祭は現在、大きな問題に直面しています。
<菅野さん>
「1人でこの会を続けるのはちょっと難しくなってきたかな。逆に慰霊の火というのは消したくないんで」
慰霊祭の会場は、小高い賤機山の山頂。91歳の菅野さんにとって、暑い中、1時間半の登山は体力的に相当な負担です。
<菅野さん>
「やっぱきついね」
慰霊祭の運営に菅野さんは、私財を投じてきました。金銭的な負担も継続に向けては大きな課題です。在日アメリカ軍横田基地の司令官ら60人が駆けつけ、共に祈りを捧げたこの日。中東やウクライナなど世界中で紛争が相次ぐいまだからこそ、合同慰霊祭には意味があると菅野さんは強調します。
<菅野さん>
「世界各地でこういうことができれば、戦争なんか起こるはずがないと思う」
「サンキューベリーマッチ」
最後に交わした固い握手は、平和への約束。参列者の姿や振る舞いは、世界へのメッセージです。