語り:春風亭昇太

太平洋戦争末期の1945年6月19日、B29爆撃機の編隊は、グアム島を飛び立ち低空で静岡市に侵入しました。6月20日深夜0時51分、123機で爆撃を開始し、落とされた焼夷弾によって瞬く間に静岡のまちは、炎に包まれました。
この静岡大空襲で犠牲になった市民およそ2000人と、B29爆撃機の墜落で亡くなったアメリカ軍の搭乗員23人の慰霊碑が賎機山にあります。毎年6月、ここで日米合同の慰霊祭が行われます。
静岡市立病院には、空襲の炎から患者たちを守ろうとして殉職した看護師たちのための慰霊碑が立てられています。ここでも毎年6月に新人看護師たちに、この悲しい歴史が語り継がれています。
7月7日には、B29爆撃機、133機によって当時の清水市に1030トンの爆弾が投下されました。この空襲で、清水の市街地のおよそ半分が消失し、151人の命が奪われました。静岡・清水への空襲と海からの艦砲射撃は、1944年の暮れから、1945年8月の終戦までの間に26回を数えました。
静岡市葵区伝馬町にある静岡平和資料センター。戦争の悲惨な体験を風化させないために静岡市民有志の運動を源流として開設され、平和について考える場を提供し続けています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。