
1945年、太平洋戦争の終結を告げる降伏文書を空輸中に静岡県磐田市に不時着した緑十字機。機体はいま、海底に眠っていますが、その姿を撮影しようと、終戦から80年の2025年、有志が海底探索に挑みました。
<磐田市 草地博昭市長>
「皆さんひとりひとりが、平和について考え、行動できるそれが80年記念大会の価値」
磐田市で8月20日に開かれた「緑十字機不時着80年記念大会」。自治体をあげて後世に語り継いでいます。
緑十字機は1945年8月、終戦の正式な手続きに必要な「降伏文書」を沖縄から東京方面に運んでいました。平和の象徴とされる機体は燃料切れにより、現在の磐田市の鮫島海岸に不時着しました。
<緑十字機不時着を語り継ぐ会 中田智久さん>
「鮫島海岸に不時着した。80年前に鮫島の住民、自分の親父もそうだが、支援したおかげで無事に降伏文書が東京に届いて、9月2日の調印につながった」
地元では語り継ぐ会が作られ、絵本や紙芝居などを通して後世に伝えてきました。不時着から80年、有志が海底に眠る機体の撮影に挑みました。
Qこれは?
「水中ドローン」
Q(深海)何メートルぐらいまでいけるのか
「200メートル」
「お~じゃあ深いところ行こう」
プロジェクトには、旧海軍の特攻兵器「海龍」など数々の撮影に成功した実績を持つ静岡県下田市の海洋調査会社「ウインディーネットワーク」が協力。音響ソナーや海中ドローンも無償で提供しました。
<緑十字機不時着を語り継ぐ会 三浦晴男さん>
「うまく見つかったら、映像が映せたら、戦後最大のセンセーショナルかもしれない。モノ無しでこうだったというのと、(海底の緑十字機)を見せて『これだったよ』というのでは、全然訴える力が違う」
<ウインディーネットワーク 杉本憲一社長>
「全国で調査をやっているが、こういう(思いが)燃えた調査は少ない。そういった意味で調査に参加させていただいて逆にありがたい」
漁船に乗り込み、福田漁港(静岡県磐田市)から2.5キロほど離れた沖合で機体を探しました。2日間で、10時間を超える捜索でしたが、その姿をとらえることはできませんでした。
<緑十字機不時着を語り継ぐ会 中田智久さん>
「見つからなかったことは残念だが、海底にあることは間違いない。探索をしたことで皆さんにも知ってもらうきっかけにもなると思う」
調査は今回限りの予定でしたが、地元の人たちの熱い思いに調査会社も押されました。
<杉本社長>
「(範囲は)広いから、今後ずーっと海底のデータを取ってみて(海底に)あれば必ず見つかる」
今後、さらに範囲を広げての調査を年に2回程度続けていきます。
<杉本社長>
「海底の調査というのは、実は(発見された)一番古い船で、トルコで3500年前の船、これはある意味で歴史。歴史を語り継ぐには遺物があるのが一番いい」
緑十字機を巡っては、新たな取り組みが進んでいます。浜松市立高校の放送部の生徒が、2025年秋に開催される放送新人コンクールに向けて、このプロジェクトを取材し、映像を制作しています。プロジェクトをきっかけに若い世代が緑十字機への理解を深めています。
海の底の緑十字機を映像に残す。平和の象徴を語り継ぐための取り組みは、大きな一歩を踏み出しました。