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わが子守り 命落とした娘 奪われた「家族の未来」【残土の闇 警告・伊豆山①/序章 子恋の森の叫び㊤】

 「娘は殺された。母親と過ごせたはずの孫の未来も奪われた」。悲しみ、怒り、疑念-。複雑に絡み合った感情は、半年という月日ではとても整理できない。小磯洋子(71)は、ほおを伝う涙をぬぐいながら声を震わせた。母と娘、娘と孫を引き裂く悲劇に至るまで重ねられた不条理の数々に、納得できる答えは一つも見いだせていない。

娘の写真を見返しながら無念の思いを語る小磯洋子(左)と夫、栄一=22日、神奈川県湯河原町
娘の写真を見返しながら無念の思いを語る小磯洋子(左)と夫、栄一=22日、神奈川県湯河原町

 夫、栄一(74)との間に生まれた西澤友紀=当時(44)=は7月3日、熱海市伊豆山を襲った土石流に命を奪われた。部屋の中に押し寄せた大量の土砂から必死に5歳のわが子を守り、帰らぬ人となった。
 友紀の一家は2年前、「お母さんの近くで暮らしたい」と川崎市の一軒家を売却し、両親が暮らす実家から徒歩2分のアパートに移り住んだ。洋子と友紀は互いを頼り、何をするにも一緒。「双子のような親子」だった。
 あの日、友紀は洋子に一本の電話をかけていた。「近くの小屋が流された。どうしよう」「怖かったらうちにおいで」。それが最後の会話になった。2人とも、約1キロ上流で異変が起きているとは気付きようもなかった。
 熱海市に土石流発生の通報があったのは午前10時28分。アパートに土砂が到達したのは、それから25分以上後とみられる。数メートルの差で自宅の被害を免れた洋子が、娘を助けに行こうとしても、既に近づける状況ではなかった。「なぜ誰も『逃げろ』と言ってくれなかったのか。サイレンでも大声でもいい。1分もあれば十分逃げられたのに」。友紀が住んでいたアパートでは5人が死亡した。
 その後の報道などで土石流の起点は「盛り土」とは名ばかりの残土処分場だったことが分かった。「市の職員も市議もその存在を知っていたはず。なのに、ほとんどの住民は知らされていなかった」。洋子の疑問は疑惑に変わっていった。「危険と知りながら伝えなかったのには何か裏があるのでは」
 洋子は今、この土石流の最も幼い遺族であろう5歳の孫の世話をしながら神奈川県湯河原町の応急仮設住宅で暮らしている。母親を失った孫は、笑顔が減り、一時は幼稚園に通えなくなった。
 ある日、孫がぽつりと友紀の夫である父親に言った言葉が洋子の胸に突き刺さった。「土石流は怖かったけど、野菜を頑張って食べるから、パパ頑張ろう」。孫は残酷な現実を懸命に受け止めている。
 「この子が誰にも遠慮することなく、自立した考えが持てるようになるまで守らなければ」。あの日以来、洋子は不眠が続いている。「ぎりぎりの精神状態」だが、不条理に満ちた娘の死の原因と責任を明らかにしたいとの思いが消えたことはない。友紀が守り抜いたこの5歳の子のためにも。(文中敬称略)
     ◇
 26人が死亡し、1人が行方不明になっている熱海市伊豆山の大規模土石流。被災地付近には「子恋(こごい)の森」と呼ばれる森林が広がる。遠くから見ると、母親が赤子を抱いて寝ている姿に見えることから、先人が名付けたと伝えられる。ずさんな工法で造られた盛り土による「人災」と指摘される土石流は親子や夫婦を切り裂き、平穏な日常を奪った。あの日から悲しみと怒りを抱えることになった遺族を追った。
 >里帰り中、夫の悲報 40年の歩み 別れは突然【残土の闇 警告・伊豆山②/序章 子恋の森の叫び㊥】

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