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消えた「70年前の災害」 「安全なまち」の過去に…【残土の闇 警告・伊豆山⑤/第1章 変わりゆく聖地②】

 熱海市伊豆山の集落を流れ下る逢初(あいぞめ)川の流域は走り湯を生むほど急峻(きゅうしゅん)な地形でありながらも、信仰の地として栄えた平安時代からの長い歴史の中で大きな土砂災害や水害に見舞われた記録は少ない。「ここは地盤が強いから安全」「災害とは無縁の地」。これが住民の共通認識だった。

戦前に撮影された伊豆山の風景。水車が回り、水が豊かな地であることを物語っている(「熱海を語る 明治・大正・昭和写真史」より)
戦前に撮影された伊豆山の風景。水車が回り、水が豊かな地であることを物語っている(「熱海を語る 明治・大正・昭和写真史」より)

 戦前や戦後間もない時期に撮影された伊豆山の風景写真には、丹念に手入れされた棚田や勢いよく回る水車などが捉えられている。いとこの太田洋子さん=当時(72)=や幼なじみの小川徹さん=当時(71)=を土石流で亡くした高橋薫さん(72)は「昔は牛舎があって川の水で牛乳を冷やしていた。山から湧き出る水で地域の生活用水は賄われていた」と振り返る。
 地域を潤し、のどかな風景の中心を流れていた逢初川は住民の原風景でもあった。数十年後、源頭部に積まれた盛り土から大量の土砂が崩れて流れ下り、集落に襲いかかることになる。高橋さんは「どうしてこんなことになったのか。盛り土が憎いし、悔しい。伊豆山はこれからどうなっていくのか」と唇をかんだ。
 「安全地帯」-。住民にそう信じ込まれていた伊豆山だが、高橋さんより年配の住民の男性(84)はこう証言する。「今から70年ほど前、今回と同じような場所で小さな土石流が起きたことがあった。でも、ほとんどの人がそのことを知らない」
 男性によると、当時小さな土石流が起きた現場は2021年7月3日の土石流で最も早く流された住宅の近く。150メートルほどにわたって土砂が流れ、田畑が埋まったものの、人的被害はなかったという。男性は記録を探したが、見つけることはできなかった。住民の間で語り継がれずに風化してしまったのか、やがて逢初川上流部には住宅が立ち並ぶようになった。
 「ここは昔、土石流があった場所だ」「あの山には(地下水が流れる)“ミズミチ”がいくつも通っているんだ」。男性は、上流部に家を建てようとする人や市に警告した。走り湯の伝説を生み出した伊豆山の急峻な地形と豊富な水。川筋に大量の土砂がたまりさえすれば、走るように流れ下る恐れがあった。
 知らずに家を建てた人には何の落ち度もない。それでも、少しでも災害の記憶と記録が継承されていればこれほどの大惨事に至らなかったのではないか-。男性は悔やむ。「そんな危険をはらんでいた場所にずさんな盛り土を造成した悪質業者と、その工事を止められなかった行政は取り返しの付かない過ちをした」
 >戦後に観光都市化加速 開発の波、山林むしばむ【残土の闇 警告・伊豆山⑥/第1章 変わりゆく聖地③】

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