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戦後に観光都市化加速 開発の波、山林むしばむ【残土の闇 警告・伊豆山⑥/第1章 変わりゆく聖地③】

 古くから信仰と温泉で知られた熱海市は戦前の丹那トンネル開通と戦後の高度経済成長という二つの転機を生かし国内屈指の温泉観光都市として大きく成長を遂げた。近代化で首都圏との距離が一気に縮まり、戦前は政財界の重鎮が次々別荘を建て、戦後は庶民の旅行需要の高まりに応えるように大型ホテルや旅館が続々と建設されていった。

熱海市内の宅地造成などに関連して発生したとみられる土砂災害を報じる1960年代の静岡新聞
熱海市内の宅地造成などに関連して発生したとみられる土砂災害を報じる1960年代の静岡新聞

 特に東海道新幹線の開通前夜の1960年代前半は市内の開発が一気に加速した。中でも伊豆山地区や隣の桃山地区、市南部の多賀地区は顕著だった。静かだった中山間地の森林も切り開かれて宅地が造成され、大手企業の保養所なども競うように建てられた。
 この頃すでに開発に起因したとみられる土砂崩れや地滑りが市内でたびたび発生している。60年4月22日付の静岡新聞は、伊豆山の海岸付近の国道で発生した土砂崩れについて「土砂を無断で捨てるものが多く、水抜き口をふさいだことなどから、盛り土の『腰』がさらわれたのが原因とみられる」と報じている。
 62年6月18日付の静岡新聞は「無理を承知の拡張工事」「宅地の野放し造成に赤信号」との見出しで、桃山地区の分譲地造成現場で起きた地滑りを報じた。記事によると、市には当時、半年間で170件、延べ10万3千平方メートルの建築申請があったという。「県東部の建築申請数とほぼ同数」とされ、開発ラッシュのすさまじさがうかがえる。
 伊豆山の被災地の近くで生まれ育った男性(84)は「今でこそ自然を守る意識が定着しているが、当時は日本中が経済を優先していた時代。むしろ、まちが栄えていく期待感の方が強かった」と振り返る。
 無秩序な開発に歯止めをかけようと、同市では64年5月、県内で初めて宅地造成規制法が適用された。しかし、宅地造成を巡るトラブルはその後も続いた。海を見下ろせる眺望の良さを“売り”にしようと、開発業者の触手はさらに中山間地に伸びていった。
 伊豆山の中腹にある七尾地区。連日のように道路を駆け上っていくダンプカーが何台も目撃され始めたのは2000年代に入ったころだった。「行き先も分からないし、大きな板で荷台を囲っていたので何を積んでいるのかも分からなかった」。道路沿いに住む小沢寿子さん(81)は当時の不気味さを回顧する。「人目を避けていたのか、地域の行事がある日に限ってダンプは来なかった」。尾根を隔てた逢初川沿いの住民はそのことを知る由もなかった。ダンプカーの行き先では、ある業者が分譲用宅地の造成を計画していた。
 >始まりは無許可造成 「停止命令」かわし計画継続【残土の闇 警告・伊豆山⑦/第1章 変わりゆく聖地④】

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