26回目の今年は、毎年さばき手を務める詩人野村喜和夫さん、詩人の川口晴美さんと水沢なおさん、小説家の星野智幸さん、ラッパーの環ROYさんが参加し、11月6~8日で全40編の連詩を巻いた。
タイトルは「『野の地図の透明な縁』の巻」。発表会では5人の朗読と解説が聞けた。総括を求められた野村さんは、今回の「しずおか連詩の会」がジェンダー(性別)、ジェネレーション(年代)、ジャンルが異なる5人が集まった点に触れた。
野村:しずおか連詩のお手本は連句。例えば(松尾)芭蕉が開いた座は同質な書き手たちの集まりで、均質な言語空間ができていました。でも、今回のわれわれはその対極にあったと思います。多様性がつくりだすスリリングさがあった。ここ数年、そうした傾向がありましたが、今年は具体的なものとして結実したと思います。
連詩の解説のさなか、司会を務めたアナウンサーの桜井洋子さんが、環さんに言葉のリズムについて問いを投げかけた。それを起点に、現代詩が内包する「定型からの逸脱」に話が及んだ。たいへん興味深い内容だった。
環:雑談で面白いと感じたことがありました。野村さんや川口さんの世代は現代詩を俳句や短歌、川柳の形式に対するカウンターとして捉えていると話してもらったんです。七五調を回避するために字余りにする、という発想が生まれるということでしたが、僕たちはそんなことは何も考えない。違和感なく(七五調を)使います。とても興味深かった。
野村:これは時代の違いなんでしょう。(1951年生まれの)僕が詩を書き始めた時代は現代詩がまだ若かった。短歌は「奴隷の韻律」、俳句は「第二芸術」などと言う人もいて、現代詩にいろんな可能性や希望があった。
野村さんは「今の時代は逆転している」と続けた。
野村:「俳句、短歌の持つ大衆性が市場を覆っています。若い人は、短歌から(文芸の世界に)入るという人がとても多い」
20代の水沢さんは「私の友だちも短歌を詠んでいる方がとても多い」と実感を述べた。
水沢:「好きな歌集がいくつもあります。ただ、現代詩の持つ自由さ、どこまでも広がっていく感覚に引かれて、私は詩を書き始めました」
「心強い」と野村さんが一言。客席で議論を聞いていたら、カウンターカルチャーとしての戦後の現代詩のありようがいっとき蘇った。戦後間もなくの「荒地派」は戦前戦中の詩を批判し、1960年代の寺山修司はそんな荒地派を批判した。非主流が主流になり、新しい非主流が生まれる。現代詩が「ハイカルチャー」として認識されていく過程も頭に思い描いた。
七五調へのスタンスの違いから、現代詩のみならず、文学表現の時代との向き合い方を考えた。観客を深い思索に導く、示唆に富んだ対話だった。
(は)





































































