
安倍川の上流域で作られる静岡本山茶。
その歴史は、安倍川の上流・足久保の地に始まりました。今からおよそ800年前、現在の静岡市栃沢に生まれた高僧・聖一国師が中国から持ち帰った茶の種をこの地に蒔いたと伝えられています。
駿府城にいた頃の徳川家康も、足久保のお茶を愛飲していたといわれ、その後、長きにわたり、将軍家の御用茶として重用されました。
安倍川の上流域で作られたお茶は、古くは「安部茶」と呼ばれ、江戸でも高級茶として評価されていました。その後、明治・大正期に茶農家の築地光太郎が「本山茶」と名付けたといわれています。
築地光太郎は幕末の頃、安倍川の支流である藁科川の上流に位置する清沢村で生まれました。お茶づくりの研究に情熱を注ぎ、明治天皇にお茶を献上するほどの腕前で地元のお茶の評価を高めていきました。
大正6年、光太郎は清沢の地で手塩にかけて育てたお茶に「本山」の名を記しています。新しい茶産地が次々と生まれていたこの頃、伝統ある安倍奥のお茶は他の産地のものとは一線を画したいという思いを、光太郎は「本山」の名に託したのでしょうか。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。