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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.14】静岡県のサッカー界をリードした2人の指導者

【藤枝東高⑤】小宮山、長池 強豪へ導く

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

1957年の静岡国体で頂点に立ち、感激をかみしめる小宮山宏(右)


藤枝東は1957年(昭和32年)、地元開催の国体を制し、初めて全国の頂点に立った。決勝で山陽(広島)を破ると、選手たちは恩師の小宮山宏を感謝の思いを込めて高々と胴上げした。

小宮山は1928年(昭和3年)、前身の旧制志太中に赴任、32年からサッカー部を率いてきた。小宮山の歩みはサッカー部の歴史そのものでもあった。剣道出身とあって技術面の指導はサッカー部OBの支援も受けたが、心をとらえた采配で部全体を見事に掌握していた。

藤枝東の元教師で、小宮山をよく知る松村八十治(藤枝市在住)は「何事も率先垂範、実践の人。小宮山先生抜きに藤枝東のサッカーを語ることはできない」と語る。

小宮山は後に川根高校長などを歴任し、1994年(平成6年)、89歳で他界した。

小宮山体制から長池体制へ

国体を制覇した翌年の58年、藤枝東に26歳の国語教師がやって来た。長池実である。

長池は東京都出身。東京教育大(現・筑波大)を出て、4年間、静岡高の教壇に立ったあと藤枝東に赴任。部長に回った小宮山から監督を引き継ぎ、強豪としての地位を確立させた。

理論派でならした長池。その指導は基本にこだわり、あわせて徹底して技術を追究した。「実に研究熱心。常に勉強していた」。3校目の赴任先である浜松商時代に病魔に冒され、87年春、55年の生涯を終えた時、藤枝東時代をよく知る人たちは、こんな言葉で労をねぎらった。

7度の全国制覇

1971年の高校総体で優勝し、胴上げされる長池実


選手権4回、総体2回、国体1回、合わせて7回、藤枝東を全国制覇に導き、同校だけでなく、静岡県のサッカーをけん引した長池だが、本県とは思わぬ形で結びついた。

78年夏、藤枝東は6年ぶりに高校総体に出場した。この年の春、浜松商に転出した長池は、総体が行われた福島県に応援に駆け付け、感慨深げな表情をにじませた。

大学卒業を控え、福島県での教員採用が決まっていた長池は、赴任予定先の高校に下見に出かけた。ところが、サッカーゴールがどこにも見当たらない。ショックを受けた長池は、福島県教委に即、断りを入れた。もし、ゴールがあったら―との問いに、ぽつりと応じた。「福島でサッカーを教えていたろうね」。

翌年春、長池は最初の赴任校である静岡高のグラウンドに立っていた。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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