語り:春風亭昇太

藁科川のほとり、静岡市葵区新間に「中勘助文学記念館」があります。自伝的小説「銀の匙」で知られる作家 中勘助は、静岡市にゆかりがありました。
東京で元士族の家に育った中勘助は、高等学校、東京帝国大学で夏目漱石から英語や英文学を学ぶという縁に恵まれ、大学卒業後、漱石の紹介で、小説「銀の匙」を「東京朝日新聞」に連載したことによって、文壇に認められました。昭和18年、中勘助は、療養と疎開を兼ねて、前年に結婚した妻とともに、当時の静岡県安倍郡服織村新間に移り住み、前田家の離れを借りて新婚生活を始めました。周りの畑でしゃくし菜が作られていたことから、中勘助はこの住まいを杓子庵と名付けています。
昭和20年、後を追って疎開してきた妹たちとともに新間から羽鳥へ移り住み、終戦後、昭和23年に、中勘助夫妻は東京へ戻りました。静岡滞在中だけでなく、帰京後に書いた作品でも新間や羽鳥を題材にした中勘助は、何度も静岡を訪れて、羽鳥の人々との交流を続け、服織中学校の校歌も作詞しました。
平成になって、かつて住んだ杓子庵が復元され、直筆原稿などの資料が中勘助の遺族から寄贈されて、没後30年にあたる平成7年、中勘助文学記念館が開館しました。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。