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ヴァージン・グループを築いた実業家、リチャード・ブランソンに学ぶ

今回は、実業家のリチャード・ブランソンを深堀りします。イギリスを代表する音楽レーベル「ヴァージン・レコード」を作り、最近は宇宙事業にも力を入れているリチャード・ブランソンについて、経済・経営ジャーナリストの桑原晃弥さんに、SBSアナウンサー牧野克彦がお話をうかがいました。

※12月22日にSBSラジオ、IPPOで放送したものを編集しています。

「監獄に行くか、億万長者になるか」

桑原:リチャード・ブランソンは1950年、イギリスのロンドン郊外で生まれました。父親は弁護士、母親も元CAという裕福な家庭です。母親は当時4歳のブランソンを家から数キロ離れた先で車から降ろし、「草原を横切って家に帰れ」というチャレンジを課しています。

牧野:ライオンみたいですね。

桑原:同じ頃には「2週間で泳げるようになったら10シリング(0.5ポンド)あげる」と言って、無理やり水泳にチャレンジさせています。

牧野:水泳教室に入れるんじゃなくて、かなりのチャレンジですね。

桑原:スポーツは得意なブランソン少年ですが、文字の読み書きが困難なディスレクシアという障害に悩まされ、全ての教科でビリになるほど勉強は苦手でした。学校を退学になったこともあります。その後、800人以上の男子学生がいる大きなパブリック・スクールに入学しますが、11歳の時にサッカーで大けがをして、スポーツもダメ、勉強もビリという悲惨な状況でした。

そんなブランソンが熱中したのが、学校の図書館にこもって小説を書くことでした。学校の随筆コンテストで賞をとり、自信を持つようになったブランソンの英語力は徐々に向上します。教室の数学は苦手でも、お金儲けに関わるビジネスプランを考えるのは得意で、ブランソン少年は学生時代に『スチューデント』という雑誌をつくることを考え始めるようになります。

しかし、学校の成績はパッとせず、1967年にブランソンは学校を中退します。その時、校長先生に言われたのは「君は監獄に行くか、億万長者になるか、どっちかだと思うね」

牧野:その言葉通り、監獄には行かずに、億万長者の道を進むんですね。

雑誌創刊、続けるために中古レコード通販、音楽レーベル…

桑原:高校を中退したリチャード・ブランソンは1968年1月に『スチューデント』の第一号を創刊します。雑誌はミック・ジャガーやジョン・レノンのインタビューも行うほど本格的でしたが、収益面ではかなり厳しく、なんとか雑誌を続けるために他で利益を上げる方法を考えます。その時に思いついたのが、のちのヴァージン・レコードにつながる中古レコードの通信販売です。

牧野:アイデアがどんどん浮かんでくるんですね。

桑原:自分の作っている雑誌『スチューデント』に広告を掲載すると、「山のような問い合わせと見たこともなかったような現金が入ってきました」そうです。その時、「新しいビジネスには名前が必要だ」と考えてヴァージン・メール・オーダー・レコードという会社を作ります。

当時、普通の小売店はレコードを売るだけの味気ないものだったんですが、店の中でコーヒーを飲みながら座ってゆっくり音楽も聴けるという斬新なスタイルが若者の圧倒的な支持を得ます。その後ブランソンはレコーディング・スタジオをつくり、数々のアーティストとも契約、アルバムも発売するようになります。

お金がどんどん入ってくるわけではないので、持っているお金で地道にやっていくか、大勝負に出るか、という選択を迫られたブランソンは大勝負を選び、セックス・ピストルズやカルチャークラブ、ボーイ・ジョージなど有名アーティストと契約し、ヴァージンを大きな音楽レーベルに育てることに成功します。

牧野:お金をある程度得て、そこからチャレンジを続けたことで、さらなる富を得ることにつながったんですね。

桑原:音楽ビジネスで成功して、そこでとどまらないのがブランソンです。本やビデオ、映画産業などに進出し、1984年に今でいう格安航空会社に近い会社、ヴァージン・アトランティック航空を設立します。

牧野:1984年の時点で、すでに空に興味を持っていたんですね。

桑原:たった一機の飛行機(ボーイング747)をロンドンーニューヨーク間に就航させます。当時は周囲から「狂気の沙汰だ」と言われるほど無謀な挑戦でしたが、ブランソンは「ワクワクするかどうかが大事だ」ということで、わずか30秒で決断、実行に踏み切っています。

牧野:リチャード・ブランソンの判断基準「ワクワクするかどうか」これ大事なことですよね。 

「ヴァージン」を一大グループに、そして宇宙ビジネス進出

桑原:音楽産業と航空事業で成功したブランソンは、その後も携帯電話や飲料水、映画館、鉄道や金融などに次々と挑戦します。いつもやっていたのは、両親から教えられた「慣習にとらわれない」「挑戦する」ということで、一大グループをつくり上げます。

牧野:幼少期に叩きこまれたメンタリティですね。

桑原:最近では宇宙ビジネスにも進出しています。2004年にヴァージン・ギャラクティックを創業し、2021年7月に同社の社員3人と2人のパイロット、そこにブランソン自身も乗り込んで宇宙船の試験飛行を成功させました。宇宙飛行はアマゾンのジェフ・ベゾス氏よりも少し早いです。「宇宙は私たちみんなのものだ」と考えるブランソンは、宇宙旅行を本格化させたいと考えています。

朝型人間、紅茶は1日20杯

牧野:リチャード・ブランソンは、日々どんな生活をされていますか。

桑原:ある記事によると、ブランソンは朝5時に起床してエクササイズを行うといいます。成功した起業家は朝型の人が多く、ブランソンも他人に邪魔されにくい朝の時間を有効に活用して、その後、家族と朝食をとるなどとても健康的な生活を送っています。また、1日に紅茶を20杯も飲むというのは、さすがイギリス人ですね。23時に寝るというのは、アマゾンの創業者のジェフ・ベゾスと同じ朝型人間といえると思います。

牧野:家族も大事にされてるんですね。 

大好きなことを一生懸命、道は開ける

牧野:高校中退から総資産5100億円にもなったリチャード・ブランソンから、私たちが学ぶべき点はありますか?

桑原:勉強やスポーツが苦手だと自分を否定しがちなところがありますし、コンプレックスを感じがちなんですけど、ブランソンは自分がとにかく大好きなことを一生懸命やっているうちに、なんとなく苦手も解消できて、新しい道が開けてきました。

あきらめない精神や、リスク覚悟で挑むチャレンジ精神、そして何よりも「人を熱中させ、面白く、クリエイティブな本能を刺激する、誇りにできるものを創造するものでなければならない」という強い精神が、ブランソンの成功につながったと思います。

牧野:苦しい時期にも卑屈にならずに、前向きに、クリエイティブにいく。これは大きな学びですね。

参考文献:『ヴァージン―僕は世界を変えていく』(リチャード・ブランソン著、植山周一郎訳、TBSブリタニカ)
今回、お話をうかがったのは……桑原晃弥さん
広島県生まれ。慶応義塾大学卒。業界紙記者などを経てフリージャーナリストとして独立。トヨタ式の普及で有名な若松義人氏の会社の顧問としてトヨタ式の書籍の制作を主導。一方でIT企業の創業者や渋沢栄一など、起業家の研究をライフワークとしている。著書に『スティーブ・ジョブズ名語録』(PHP)、『トヨタ式「すぐやる人」になれる8つのすごい!仕事術』(笠倉出版社)など多数ある。

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