
五重塔は、1873(明治6)年に明治政府の神仏分離令で取り壊されるまで存在していた。社務所と社殿の中間付近に建ち、高さ約30メートルもの規模だった。
村松さんは同校の教員から勧められ、昨年春から本格的に制作を開始。確認できた当時の図面がわずか数枚と少なく、日光東照宮(栃木県)などの他の五重塔の図面なども参考にした。久能山東照宮境内の跡地を測量し、当時を推測して模型の図面を完成させた。
五重塔を構成する太い支柱や緩く反った屋根、「斗(ます)」と呼ばれる梁(はり)や桁を支える小さな部品など千個を超えるパーツは全て、「かんな」や「のみ」などで手作りした。組み立て作業では、一つの部品のわずかなずれが全体の高さに影響するため、慎重に微調整を重ねた。
約1年かけ完成させた五重塔は裏側が断面図になっていて、柱や梁が美しく重なった内部の構造も見ることができる。模型を奉納した村松さんは「こんなすごい模型を作ることができ、頑張ってよかった」と感慨に浸った。奉納に立ち会った東照宮の権禰宜(ごんねぎ)も「東照宮博物館に展示して目玉にできたら」と期待した。
4月から京都の工務店で働く村松さんは「後世に残るような建築物を造る大工になりたい」と培った技術を誇りに意欲を見せた。