「『あの人』が、とうとう、家に火をつけたようだ」抱き合って座り込み涙を流す住民たち…【“ぎおん”の街で起きた放火事件の顛末(上)】

静岡県浜松市天竜区の山あいには、「水窪(みさくぼ)」という、かつて林業で栄えた町がある。面積の96%が森林で、浜松の中心市街地から車で2時間以上かかる町。アマゴや鮎が泳ぐ、澄んだ水窪川が流れ、その脇をJR飯田線が走る。

人口は2,000人を切り、平均年齢は67歳。75歳以上の後期高齢者は全体の4割以上にあたる。穏やかな時間が過ぎるこの町では、“花火をしても良い日”が決まっている。

それは1年にたった2日間、6月14と15日の朝から夜だけである。
住民は、この不思議な風習を律義に守る。

普段この町に火の気はなく、許された2日間は町内のあちこちで爆竹が爆ぜる音が聞こえる。大人も子供も一緒になって花火を楽しむ。

この風習を「ぎおん」という。

「ぎおん」の誕生には、大正時代に町内で発生した大火が関係するー

水窪町史をめくると、その大火は1925年(大正14年)2月25日午前2時ごろに発生。製糸工場から出火し、本町地区の130戸以上が全焼。住民に大きな被害をもたらした。戒めとして、住民は町内での花火を禁止した。

火に敏感な、山あいの町。ここで、2023年10月、住民による放火事件が起きた。

【全3回の1回目/ / /

2023年10月5日 記者の取材ノートから

その日、記者は偶然にも早朝から水窪町内にいて、とある取材をしていた。午前11時頃のことだった。

協働センターでカメラを回していたところ、室内に設置されていた同報無線から、火事発生の知らせが流れた。外に出てみると、数百メートルほど向こうで、真っ黒い煙がもくもくと上がっていた。

取材を中断し、カメラマンと現場に走った。

大きな火柱が上がっていた。空気が熱く、黒い燃えカスがひらひら舞っていた。
バン……バンと2度、何かが爆ぜる大きな音が聞こえて、周囲からは悲鳴が聞こえた。

火の勢いよりもショックだったのは、高齢な住民たちの怯える様子だった。

位牌を取りに家に戻ろうとする近隣住民と、それをはがいじめにして止める住民。

抱き合って座り込み、涙を流す住民たち。手を合わせ、擦り、「南無阿弥陀仏」を唱える住民。

少ない若者で成る消防団が、ホースを伸ばし、必死に消火活動を続ける。その日は風が特に強かったこともあってか、火は一向に消えず、むしろ、どんどん大きくなっていった。

消防は、なかなか到着しない感じがした。時間がかかるのだ。細くて、ぐにゃぐにゃと曲がりくねった山道を越えた先にある、この町に辿り着くには。

発生から約7時間、辺りはもうすっかり暗い午後6時過ぎ、鎮火。天竜消防署によると、建物6棟が全焼。合計で23棟、それから、車両8台にも延焼。けが人がいないのが、せめてもの救いか。そんなふうに思っていたら、現場で、変な噂が聞こえてきた。

「『あの人』が、とうとう、家に火をつけたようだ…」

日付が変わってまもなく、警察は、火元の家で独り暮らしをしていた男(当時89歳)を放火の疑いで逮捕した、と発表した。

法廷で声荒げ「私がしゃべらんと、わからんでしょうが!」

2024年8月26日、裁判員裁判による初公判。傍聴席は8割ほど埋まった。

被告の男が入廷。車いすに乗せられていて、上下とも、藍色でぶかぶかのジャージを着ていた。

痩せ型で、毛は白く、釣り眉。口は閉じていて、への字。しっかり目を開き、真っ直ぐ前を向いている。

午前10時。開廷。本人確認。

裁判長「あなたの『生年月日』はいつですか」
被告の男「浜松市天竜区水窪町地頭方…」
裁判長「…それは、『本籍地』、ですね?」

男は耳が遠く、補助のヘッドホンを着ける対応がされていたが、意思疎通はうまくできていなかった。発する言葉も、何を言っているのか、聞き取りづらかった。

裁判長が繰り返し聞いたり、裁判官が文字に起こし指差しして見せたりして、なんとか、本人確認が終わった。

起訴内容の確認。
検察が起訴状を読み上げた。
男は、自殺を図るため、自ら自宅の障子紙に、マッチを使って火をつけていた。

裁判長が起訴内容を確認する。

裁判長「あなたは…」
被告の男「(裁判長を遮って、起訴状をぶつぶつと読み上げ始める)あーあー。……よろしくお願いします」

裁判長「あなたが起訴された放火の事件について、言いたいことは、ありますか」
被告の男「(再び起訴状を読み上げた後)とにかく、家族に見捨てられて。要は、飲まず食わずですよ。苦しかったんです。7時の電車が…」

裁判長「ストップ、ストップ。聞いて。今回の放火の事件は、あなたがやったもので間違いないですか?」

男は一段と大きな声で、ハッキリと「間違いありません!」と答えた。

男のヘッドホンが外され、男は席に着いた。

検察側が冒頭陳述を始めると、男が再び遮って話し出す。
裁判長から注意を受けると、声を荒げ、「私がしゃべらんと、わからんでしょうが!」。
興奮する男を、弁護士が落ち着かせる。

検察は、男が初めての独り暮らしで抱いた寂しい思いを、町外に暮らす自分の家族に分からせるために自殺しようと考え、ロープで首を吊ったうえ、近所に燃え移るかもしれないと分かっていながら放火したことを「自らの感情を優先した身勝手なもの」と指摘。

弁護側は、男は犯行当時「生きる意味を失っていた」と、情状酌量を求めた。

閉廷。続きは次回。
男は、いつの間にか、しゃべるのを止め、机に伏していた。

9月2日、第2回公判。開始から30分ほど経ったところで、男が胸を押さえ出し、机に突っ伏した。男は救急車で病院へと運ばれて行った。

再開は未定となった。
(続く)

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