かつて、林業で栄えた静岡県浜松市天竜区の山あいにある「水窪(みさくぼ)」という町は、大正時代に起きた大火の戒めとして、「ぎおん」という呼ばれる風習がある。1年に2日間だけ、花火をすることが許されるこの不思議な風習を律義に守り続ける火に敏感な集落で、住民による放火事件が起きた。
現地取材で明らかになった事件直前の男について
元々、男は自宅で妻と2人暮らしをしていたという。
「昔は地域の付き合いにも顔を出す人だったよ。1人暮らしになって、変わったね」
また、「昔から畑を荒らした猫の足を切ってしまうような人」で、気性が荒かったと振り返る住民もいた。
2023年8月末、男はナイフで妻にけがをさせたり、玄関のガラス戸にテレビを投げつけたりして、暴れた。
警察が現場に駆け付ける事態となった。
「もう無理だよ」
直後、「母親の安全を守る」と、静岡県外に暮らす男の子どもが妻を引き取り、男の独り暮らしが始まった。
「家族に会いたい」
「戻ってきてほしい」
男は1人になってすぐ、近隣の人たちに、耳が遠い自分の代わりに家族に電話して欲しいと何度も頼んだそうだ。
しかし、家族は住民から連絡を受けても、男に会いに来ることはなかったという。
男は、米の炊き方がわからず、ゴミの出し方がわからず、風呂の沸かし方がわからなかった。

次第に、周りの住民や行政職員に対し、自殺をほのめかすようになり、そして、実行した。
独り暮らしが始まってから放火するまで、1か月余り。
事件前日に、被告の家族に電話をかけていた住人がいた。
「もう、無理だよ。来てよ…」
行政の当時の対応をめぐって
複数の住民に聞く。
何十年も、男と同じ町で生きてきた住民たちだ。

「様子を見に来た区の職員に、『本人を自立させる。自立の妨げになるから、一切手を貸すな』と言われた」
「いま『あの人』が1人で暮らすのは絶対無理だと訴えても、『とにかく一切関わるな』と言われた」
「『自殺する』って繰り返していると、事の緊急性を行政に報告しても、『あなたたちは気にしないでいい』『刃物を持ってきたら逃げて』と言われた」
心配は増す一方だった。
男がフラフラ外を歩く時は、気づかれないように、そっと様子を見守ったという。
洗濯はできているのか。ずっと竿に何も干されていない…。夜、電気は付くのか。あっ。付いた。生きてるね。
行政に、被告は元気なのかと尋ねると
『風呂は、お水を浴びているみたいですよ』
え、それでいいのかしら…。
1人ではとても無理と分かっている人を、行政は、なんで、自立させようとするのだろう。
「小さい田舎って、みんなで助け合って生きているよ。そのつながりを強制的に切られたような…ご飯が作れないのなら、おかずだって余分に作ってあげたいよ」
住民たちは田舎の助け合いと、行政からの指示のはざまで、苦しんでいた。
浜松市天竜区長寿保険課の担当職員らに聞く。
「本人は非常に耳が遠くて。十分にコミュニケーションをとるのが難しい事情がある中で、この先、彼をどうするのかという調整を、まさにしようとしていたところで、火事が起きた。その5日後くらいに、(男の)ご家族と今後について話をする予定だった」
行政は、9月から週に2、3回ほどのペースで男の自宅を訪ね、筆談で様子を確認していたという。
「(男のことは)強制的に入院になるような対象ではないと見ていた」
「自分の意思で歩いたり食べたりができる方なので…、緊急性というと、衰弱してとかはなかったので。ただ、行き詰まりはもちろんあったので、どうしようかという段階だった」
行政も、男自身の意思と、家族の意向のはざまにいた。
「全部やってくれると思ったら大間違い」
「(男の)家族がもう電話も出ない。ガチャって切られるのは、(別の事案で)何度も経験済みなので。それでも、実際に何かできるのは、家族なので。病院や施設に入るのを嫌がっている本人の腕を、我々は引っ張れない」
男の様子が落ち着いてきたということで、訪問のペースを徐々に回数を減らしていた9月末、委託職員が、男が自殺をほのめかす言葉を聞いたそうだ。
住民にかけた言葉についてはー。
「『怖い』とおっしゃる住民の方がいらっしゃったこともあり、また、住民の方の負担や罪悪感を生まないためにも、『こちらで頑張ります』という意味で発言した」
「本人や住民を見捨てているようにとらえられる、誤解を招く言葉選びをしてしまったことは反省している」

最後、担当職員は、記者に福祉支援をめぐる現実を話した。
「明らかにあの火事を防ぐために、私たち(=行政)は何ができたのかといったら、火をつけようとする現場に居合わせて、本人の手を掴んで止めたかった」
「どうしても、本当に正解がない。結果はこうだから、何か間違っていたのだが、どこで。どうしていたらっていう答えを出すのは、非常に難しいと思っている。ただ、いろんな部署や人、関係機関との連携をしながら、個別のケースの多種多様な問題にあたっていくしかない」
そのうえで、行政は限界を迎えている、とも漏らした。
「公的なものは、やっぱり高齢者の数が増えてくると行き届かないというか、公助にあまり期待をされても…全部やってくれると思ったら大間違いです、みたいな」(続く)
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