
静岡市では初回となる、20日午前10時の上映回を見た。エンドロールが終わると同時に、自分の背後から拍手が聞こえた。たった一人だったが、それは客電がついても続いた。ゲストトークが控えた上映でもないのに。ただ、それだけの熱が生まれるのも合点がいく映画の内容だった。
五百旗頭監督といえば、個人的には2020年の「はりぼて」が印象に残っている。富山のチューリップテレビ在籍時の作品で、「保守王国」富山市の市議会議員たちの不正を次々暴く手さばきが痛快だった。遠慮のない言い方をすればスカッとした。
「センセイ」扱いに慣れきった議員たちの、政務活動費を巡るうそが白日の下にさらされる。同市議会では半年に14人もの議員が辞めた。右往左往する彼らの姿は、率直に言って滑稽だった。
「はりぼて」が問うているのは「ずっとこれでやってきたから」と言いつのる振る舞いの正当性だ。それは五百旗頭監督が石川テレビに籍を移して撮った「能登デモクラシー」でも変わらない。石川県穴水町を舞台にした今作でも「なあなあでやってきたこと」について、鋭く切り込む場面があってはっとさせられた。
そういえば、国政でもついこの間、そんなことがあった。首相が1年生議員との会食のお土産として商品券を配った、あの一件だ。政治資金規正法違反があったかなかったかよりも重要なのは、この「儀式」は歴代首相(というか、自民党総裁)に代々受け継がれてきたのではないか、という疑念だ。「能登デモクラシー」に出てくるとある映像は、その縮図に見えてくる。
今作が興味深いのは、高齢化と人口減が進む地方自治体の過疎地区をテーマに撮影を続けていたら、能登地震という不測の事態に見舞われたことだ。元・中学校教師で2020年から手書きの新聞「紡ぐ」の発行を続ける滝井元之さんという得がたい人物を追っていたら、大災害によって外部環境が大幅に書き換えられてしまった。
五百旗頭監督が冴えているのは、それでもなお視点を「滝井さんが見た町政」から動かさなかったことだろう。滝井さんが住んでいるのは町中心部から悪路を進んだ先にある、たった3戸の限界集落。水は自分たちで確保しているが、道路をふさぐ倒木対策について町に何度も掛け合うがけんもほろろである。
過疎地の課題は大規模災害があると、一層顕在化する。滝井さんは復興ボランティアとして活動しながら、町の「復興未来づくり会議」の一員として復興計画策定にも一役買う。本作は「はりぼて」とは異なり、「過疎地切り捨て」を強く否定する町長の姿勢に、肯定的に寄り添う。滝井さんの姿勢に感銘を受けて仮設住宅に住む人に「不便はないか」と聞いて回る市議の姿も映し出す。
町民みんなが復旧復興に向かって頑張っている-。そうした安全な着地点をよしとしないのも五百旗頭監督の矜持だ。何があっても、「なあなあでやってきたこと」を決して覆い隠しはしない。映画のきっぱりとした結末は、監督の変わらぬスタンスをよく表している。
(は)
<DATA>※県内の上映館。6月20日時点
静岡シネ・ギャラリー(静岡市葵区、7月3日まで)