【映画「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」の真利子哲也監督の舞台あいさつ】 血がつながっていない夫婦は「他人」だけれど、「ストレンジャー」同士、寄り添うことはできる

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は9月27日に静岡市葵区の静岡シネ・ギャラリーで行われた「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」の真利子哲也監督の舞台あいさつを題材に。同作は9月26日から同館のほか、シネマイーラ(浜松市中央区)でも上映中。(文・写真=論説委員・橋爪充)

「ディストラクション・ベイビーズ」(2016年)や「宮本から君へ」(2019年)の真利子哲也監督が全編を米・ニューヨークで撮影したヒューマンドラマ。建築学の大学助教授・才賀賢治(西島秀俊さん)は、中華系米国人で演劇監督の妻ジェーン(グイ・ルンメイさん)、一人息子のカイと三人暮らし。夫婦は仕事や育児、介護の考え方を巡ってどこかすれ違う中、カイが何者かに誘拐される。家族の危機の中で、互いの本音がさらけ出され、夫婦の距離は徐々に開いていく。

全編の90%が英語、そして中国語、時に日本語。少しだけスペイン語。複数の言語が入り交じる本作は、最も近い他人である「夫婦」の分かりあえなさが大きなテーマだ。不信解消に努めれば努めるほど、思いがけない外的要因が二人を引き裂く。

関係性の修復を試みる強い意志を上回る、残酷な現実。世の中のままならなさが全編を覆うが、ラストは不思議に満ち足りた気分になる。さまざまな解釈が可能な、見た人同士が直後に語り合いたくなる作品だ。

上映終了後、舞台に登場した真利子監督のトークをお届けする。聞き手は静岡シネ・ギャラリーの川口澄生副館長。

(作品のきっかけになったのは米国留学とのことですが)

文化庁の新進芸術家海外研修制度で2019年から2020年にかけて米国・ボストンに滞在していました。

(ニューヨークで暮らすアジア人夫婦という設定ですね。その息苦しさや閉塞感が描かれていますが、背景には監督自身の生活体験があったんですか?)

コロナ禍の頃は米国の移民、特にアジア系の方への動きというのはあったと思います。ただ僕が行っていた当時は、まあそういう問題はずっとあるにせよ、少なくとも接していた人たちからはそこまで差別的な扱いは受けませんでした。

むしろ、向こうにいる間に移民文学みたいな形で、アジア系のジャンルがあると知って。自分が何の仕事をしにきたかについて明確に説明できないことで、アイデンティティーのようなことを考えるようにもなりました。それが脚本に表れているかもしれませんね。

それと、しばらく米国に住んでいて、いろいろな縁ができたんですよ。シカゴの映画祭で審査員をやらせてもらって、映画製作のプロダクションとつながりができて。

その頃はコロナが起きるなんて思ってもいなかったので、日本に帰ったらまた(そのプロダクションと)やるか、という気持ちがあったんです。そうしたら帰国の飛行機の中で米国に国家非常事態宣言が出て。全世界ストップ。その後はビデオメッセージでやりとりしていました。その中で家族のようなものを描きたいという思いが生まれたんです。

(西島さんのせりふは9割以上英語です。非常にチャレンジングな作品で、監督にとってもこれまでの製作環境と全く違っていたことでしょう。期間中、印象に残ったことはありますか?)

米国での製作はお金の集め方、キャスティング、全て違っていました。自分は(現地の)言語ができないので、コミュニケーションの取り方も含めていつも以上に丁寧にやりましたね。とはいえ、自分が「お上りさん」になってはいけないので、自分のやりたい世界観を作っていくためにコミュニケーションを密にしました。

(コロナ・パンデミックを経て、本作を撮影したわけですが、ご自身の内面的な変化はありましたか?)

皆さんも体験したと思いますが、社会の最小単位である家族の中にいる重要性。それを描こうと。もう一つ、コロナとは関係ないんですが、米国で中華系の人の家族の縁の強さが分かったんですよ。そういうものを、今回日本人の賢治が妻の家族の中で生活する、その居心地の悪さを含めて全部とりいれようと思いました。

(このタイトルにした理由は)

使っている言語は一緒だとしても、夫婦って血はつながっていませんよね。他人ではある。でも、「ストレンジャー」だとしても、ただの他人だとしても、寄り添うことはできる。そんな意味を込めて付けました。


静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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