【映画「宝島」の大友啓史監督、主演・妻夫木聡さんインタビュー】「これは命がつながっていく話」

2018年に刊行された真藤順丈さんの直木賞受賞作を映画化した「宝島」が9月19日から全国で上映されている。太平洋戦争後の米国統治下の沖縄で生きる若者たちの成長と、彼らの日米両国への葛藤を描いた人間ドラマは、2020年代の日本に生きる私たちに、歴史の重みをずしんと伝える。出演は妻夫木聡さん、広瀬すずさん(静岡市出身)、窪田正孝さん、永山瑛太さん、ピエール瀧さん(静岡市出身)ら。極めて骨太だが、エンターテインメントとしての完成度も非常に高い。両義的な作品が出来上がるまでの過程、心境を大友啓史監督、主演の妻夫木さんに聞いた。(聞き手=論説委員・橋爪充、教育文化部・松下妙 インタビュー写真=写真部・堀池和朗 映画の場面写真は(c)真藤順丈/講談社 (c)2025「宝島」製作委員会 )

大友啓史監督(右)と妻夫木聡さん

本土復帰前を描かないと沖縄と向き合ったことにならない

-大友監督は、真藤さんの小説が発刊された直後に映画化に動き出したと聞きました。これを映画化しようという強い気持ちが生まれたのはなぜですか。

大友:自分の撮影したいと思えるような題材を常日頃探している中で、もともと沖縄に入り込んでいた時期があったんですよ。NHKで連続テレビ小説「ちゅらさん」(2001年)をやっていたので、随分前から関心はありました。「ちゅらさん」は沖縄の本土復帰以降の話で、沖縄に残る家族の絆の強さや人間関係の濃さ、温かさに主眼を置いていたんですが、「やっぱり本土復帰前を描かないと沖縄と向き合ったことにならないんじゃないか」という思いを持つようになってきたんです。

-沖縄を知れば知るほどそれが強くなっていったんですね。

大友:そうですね。そういう思いを20年ぐらい抱えていたら、この「宝島」という小説が現れまして。手に取って読んでみて、その熱量、沖縄の人が一人語りをしているような地の文、そこで生きるオン、グス、ヤマコ、レイといった登場人物の、生きるのに一生懸命な姿に興奮したんです。空想を駆使しながら描く激しさ、たくましさを受け止めることで、沖縄のコアに触れているような気がして。一晩で読み通してしまった。

-それですぐに映画化権を取得したと。

大友:小説を読んだ後、しばらくその熱を引きずったまま「なんとかして映画化したい」とプロデューサーと話して。原作権は僕個人の会社で取りに行き、(映画化の)開発を始めたという感じでした。

映画「宝島」の一場面


-これだけの分量(540ページ)を映画化するとなると、一定程度の時間にまとめるのがさぞや大変だったのではないかと想像します。

大友:僕、(ベルナルド・)ベルトルッチの「1900年」(1976年)が音楽も含めて大好きで。イタリアの現代史を巡る大河ドラマですよね。あれが5時間超なんです。高校生か大学生の頃に見てめちゃめちゃ感動したんですよ。それで、ああいう映画をどこかで作りたいと思って。

-「宝島」の仕上がりは191分ですが、当初の構想ではもっと長かったと。エピソードの取捨選択が必要不可欠ですが、どういう点を重視したのですか。

大友:最初は「5時間」ということで配給会社に持って行ったら、怒られました。でも、過去にこのぐらいの長さの映画があるわけだから、沖縄のこの時代を描くならやっぱり5、6時間かかると。じゃあドラマにしたらいいんじゃないですか、配信の方に売り込んだらどうですかといろんな話もあったんです。でも僕はやっぱり、一気に駆け抜けるように見てもらった方がいいと思って。だから、いろいろ取捨選択しながらコザ暴動でのレイとグスクのやりとりをクライマックスにして、人物たちの感情のぶつかり合いをピークに持って行くように脚本を整理しました。

大友啓史監督


-コロナ禍ということで撮影の延期が2回あったそうですね。

大友:そうですね。延期後に脚本をガラッと入れ替えています。全く違う構成にして、やっと今の形にたどり着きました。脚本は3、4年やってましたから何十本書いたか分からない。4時間ぐらいの脚本を削り削りやって、クランクインにこぎ着けて。でも足りないものはいっぱいあったので、現場で例えば妻夫木君とも話しながら、俳優やスタッフを当てにしながら変えていきました。現地沖縄でロケしていると、ものの感じ方が変わってくるんですね。

妻夫木:日々成長していましたからね、脚本は。実は撮影に入るまで、どこかにこの映画がどういう映画かを説明できないという気持ちがあったんですよ。その時点では(役柄の)グスクとして生きているから、結論めいたことが頭に浮かばなかったのかもしれません。ただ、撮影が進んでいくうちに「これってこういうことなのかな」と分かってきた。

-何が見えてきたんですか。

妻夫木:(グスクが)オンちゃんを追いかけて、追いかけて、その先にあるもの。それは何だったのかをずっと考えていたんですが、「これは命がつながっていく話なんだな」と感じるようになりました。そして、見た人が「自分の話だったんだ」と思える作品なんだって。見終わって「ああ面白かった」だけじゃなくて「じゃあ、自分はどうする?この先の未来どうする?」と物語が続いていく。

妻夫木聡さん

あの時代に生きた人たちの感情を紡ぐ

-沖縄の現代史という重たいテーマを扱う上で、ドラマをどう構築しようと考えましたか。

大友:あの時代に生きた人たちの感情を紡いでいくことですね。(この作品は)事柄を追いかける叙事詩のようでいて、叙情詩なんですよ。登場人物たちの感情の歴史です。オンちゃんは死んじゃったのかもしれない。でも、死体に出会えていないから、もしかしたら死んでいないのかもしれない。そういう感情を引きずりながら、グスク、レイ、ヤマコはそれぞれに生きていかなきゃいけない。そういう感情の流れで3時間を紡いでいくということですね。

-先ほど妻夫木さんがおっしゃった「命がつながる」と共に、映画の柱を成していますね。

大友:一番の眼目は、アメリカ統治下では絶対的な強者と絶対的な弱者が生まれていたということ。戦争自体が殺し合いですが、その結果も悲劇と言えるでしょう。権力を持つ者と持たない者、富める者と貧しき者、与える者と与えられる者、乞う者と乞われる者、関係が決まっちゃう。弱肉強食の時代の中、必死で生きている(登場人物)4人のありさまですね。

映画「宝島」の一場面


-今を生きる私たちと比べてしまいます。

大友:戦後間もなくは、生きるということそれ自体に価値があった時代でしょう。そうすると、どうやって生きるかを考えるより、むしろどうやって死ぬかという「死に際」を考え始めると思うんですよ。(現地で)エピソードを聞くと、(映画に出てくる)戦果アギヤーたちは、死ぬ直前に「俺たちは結局、米軍基地からものを盗んだ犯罪者だ」と悔しげに言うんだそうです。でもそれを看取る方々が「いや、そうじゃない。あなたのおかげで私たちは生き残ることができた。あなたたちのおかげで私たちも、私の子供も、私の孫も生きることができた」と言うって。そういう話が伝わってたりするんですよ。だから、彼らが守ろうとしたものは何なのかと。個人の尊厳かもしれないし、人間の矜持かもしれないし、命の大切さかもしれないし。それを、映画を見た人それぞれが感じ取ってほしい。宝島と言われる沖縄の宝って何なの、ということを一人一人に持ち帰ってもらうってことが大事だと考えました。

-妻夫木さんは今回、どのようにグスクを演じようと思ったんですか?

妻夫木:この作品は、監督だけじゃなくて美術さん、メイクさん、衣装の方、皆さん一人一人の思いがすごく強かったんです。だから、メイクして衣装を着るだけで、スッとあの時代になる感じがあったんですよね。僕たちがリアルに生きる環境を皆さんが作ってくれた。

-同じ沖縄でロケした「涙そうそう」(2006年)とはまた違った思いでしょうか。

妻夫木:当然、そうですね。でも、当時の素晴らしい出会い、その後も(付き合いが)続く親友たちが大きな力になってくれました。今回の撮影は、本当の意味で沖縄と向き合うことでしたから。戦後間もなくを生きた方々の言葉を聞きに行ったり、ガマを訪ねたり、いろんなことをしました。最終的に僕の中に覚悟ができたのは、友人たちが連れて行ってくれた佐喜真美術館(宜野湾市)でした。「沖縄戦の図」の前で涙が出て動けなくなっちゃって。すごく勉強して、いろんな人に取材させてもらって役作りをしていたはずだったんですが、「分かった気になっているんじゃないか」と言われた気がして。どこか(現実を)見て見ぬふりをしている自分に気付いてしまった。撮影中も何度か見に行っていました。あの絵との出合いがなかったら、最後まで演じ切るのはきつかったもしれないですね。

映画「宝島」の一場面

「3度目の正直」で撮影開始。奇跡に近い

-コロナ禍もあって撮影が2回延期になりました。3回目の撮影に当たって妻夫木さんはどんなことを考えていたのですか?

妻夫木:正直、半信半疑だったんですよ。映画(の撮影)が流れて、うまくいくことは1割もないので。でもそうした機会を2回も乗り越えた3度目の正直。これは本当に奇跡に近いと思います。僕としては、「涙そうそう」からの縁があるし、コザの街を愛していたので、ぜひやりたいという気持ち、情熱は強かった。その中で「沖縄戦の図」との出合いもあったり。結局、支えてくれたのは「沖縄」なんです。巡り合わせですね。

-スケジュールがピタっと合ったのも幸いしましたね。

妻夫木:本当にピタッとですよね。(撮影延期が続く中で)キャストが変わるかもしれないと、何回も聞かされていたんですよ。(レイ役の)窪田(正孝)君が難しい、という話もされた記憶がある。でも結果的に名前が復活していて、本当に良かった。みんな忙しいから、針の穴を通すようなスケジュールだったはずなんです。でも、始まってみたら1、2回目よりも(全体の)スケジュールの範囲がめちゃくちゃ広いし、予算も増えている。戦後80年という節目に公開されるように導かれていたのかなと思いました。

映画「宝島」の一場面


-作品全体から、小説の表現「あぶられたような暑さ」がにじみ出ていますね。こうした空気感は計算されたものですか?

大友:気候もそうだけれど、物語全体の昭和の熱量を考えて「熱帯」を意識しました。カメラマンとも沖縄の映画というよりもアジアの映画の密度、湿度、体温を感じられる色にしていこうという話をしていました。
「湿度」が撮影と照明の共通ワードでした。

妻夫木:撮影期間はあんまり晴れなかったんですよ。晴れると本当に(色が)パキッとしちゃうんですよね。だから今回については「曇り」の良さが写っているんです。

<DATA>※県内の上映館。9 月28日時点
ジョイランドシネマみしま(三島市)
シネプラザサントムーン(清水町)
シネマサンシャイン沼津(沼津市)
シネマサンシャインららぽーと沼津(同)
イオンシネマ富士宮 (富士宮市)
MOVIX清水(静岡市清水区)
静岡東宝会館(静岡市葵区)
シネシティザート(同)
藤枝シネプレーゴ(藤枝市)
TOHOシネマズららぽーと磐田(磐田市)
TOHOシネマズサンストリート浜北(浜松市浜名区)
TOHOシネマズ浜松(浜松市中央区)
 

映画「宝島」のイメージカット

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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