「ポエム・イン・静岡」で講演する廿楽順治さん
県詩人会の年始恒例イベントは、毎年著名な詩人を迎えてにぎにぎしく開催される。今年は2012年に「化車」で第62回H氏賞に選ばれた詩人廿楽順治(つづら・じゅんじ)さんが「老いて、詩を生きるということ」と題して講演した。廿楽さんが「老い」をテーマにした詩を6編セレクト。紹介された詩は発表が古い順に岡崎清一郎「死」、石原吉郎「足利」、西脇順三郎「人類」、天野忠「オヤ」、岩佐なを「たんぽぽ」、粕谷栄市「晩年」。語り手が誰なのかが不明、現実と非現実の境目が不明、真面目に作っているのか不明―など、一癖、二癖ある「老人詩」がそろった。
廿楽さんによると、現代詩は「若さ」を価値としてきた経過があるという。戦後まもなくに活躍した鮎川信夫らの「荒地派」は戦争責任を追求したし、1960年代の全共闘世代は一定のイデオロギーに基づいて詩を書いた。
だが最近は「老い」も「若さ」も「もやもや」っとしているという。廿楽さんは文学や詩の世界だけにとどまらず、若さを価値にする考え方が、最近は曖昧になってきたと分析する。人口構成で「若者」の比率が高かった1960年代後半に比べ、今は若者が「マイノリティー」に陥っていると。
ユニークな指摘ではないか。詩人やアーティストの高齢化が言われるが、それは決してマイナスに捉える必要はない。人口比でボリュームが多い年代から新しいムーブメントを起こせば良いだけなのだ。それが大きければ大きいほど、下の世代が「かみつく」エネルギーも大きくなる。
「かつての若者」がむしろ、手控えしすぎているのでは。そんなことを思い巡らせた講演だった。
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イベント冒頭で挨拶する静岡県詩人会の金指安行会長