ジュビロ磐田のレジェンド藤田俊哉SDに“黄金時代”のあれこれ聞いてみた!N−BOXとは…、ゴンさんの凄さは…
鬼頭:藤田さんのプロフィールです。静岡市清水区出身で、ヒデさんと同じ学年の51歳。清水商業高校サッカー部時代は、2年生のときに高校選手権で優勝。筑波大学から1994年にジュビロ磐田に加入。ジュビロの黄金時代を支えられました。
その後、オランダのユトレヒト、名古屋グランパス、ロアッソ熊本、ジェフユナイテッド千葉を経て、2011年に現役引退。海外で指導者の道を歩み、昨年9月、ジュビロ磐田スポーツダイレクターに就任しました。
ヒデ:スポーツダイレクターのお話がきたときはどう思いましたか?
藤田:正直びっくりしましたね。僕、ジュビロ磐田から17年離れてたんですね。話はもうこないと思ってたけど、熱意あるオファーだったので、覚悟を決めました。
清水商業VS市船橋
ヒデ:清商3年間を振り返ってください。藤田:よく練習した。すごい練習した。そんな時代じゃないですか。
鬼頭:清商はどういう練習の仕方だったんですか。
藤田:やっぱり個を磨く。組織のチームっぽい雰囲気があるかもしれないですが、当時の大瀧雅良監督は個を伸ばしてくれたなと思います。
ヒデ:(自分が所属していた)市立船橋は逆に個ではありませんでした。チームです。「和を以て技を制す」。結局チームプレーがすべてだっていう。ここではっきり色が違ってたなと。
藤田:もちろんチームワークとかチーム力とかは大事だけど、やっぱり個がどれだけ大きいかが前提っていうのがあったのかなと想像します。
ヒデ:元日本代表監督の岡田武史さんに「清商はバルサで、市船はレアルだった」って言われたことがあります。清商さんはバルサのサッカーでしたよ。パスをつないで。逆に市船はスピード、強さみたいな。だからほんとに楽しい試合ができました。
藤田:色がありましたよね。ものすごいカラーが見えて、戦いも面白い。
ゴンさんや名波浩さんのこと
ヒデ:そして94年、ジュビロ磐田へ。いろんなところからオファーきてたんじゃないの?
藤田:たくさんオファーいただきましたけど、ジュビロがJリーグ昇格元年の年で、自分も初めてのプロで、同じスタートラインに立てるっていう意味で決めましたね。
鬼頭:そこからステージ優勝6回、年間優勝3回、アジアクラブ選手権優勝1回。ほんとに黄金時代の真ん中にいらっしゃいました。
ヒデ:日本代表の名波浩コーチが、「一番憧れたのが藤田俊哉だ」って言うんですよ。
藤田:ライバルでしたからね、ずっと。だけど、ライバルとして同じジュビロに来たっていうのが嬉しいですよね。普通はポジション争いがあるから避けようと思うじゃないですか。でも僕たちの頃は、強い選手とかいい選手が1つに集まるっていうのがトレンドでしたね。
ヒデ:当時のジュビロは全員が同じイメージを共有しているようチームでした。負ける気がしなかった?
藤田:中山さん(中山雅史さん)は「(チームが共有する創造的なイメージの中に)自分は入れないんじゃないかと思ってドキドキしてる」っていつも言ってました。「よかった、1回ボールに触れて」とかよく聞きました(笑)。
ヒデ:ゴンさん(中山さん)はどんな選手でしたか?。
藤田:やっぱり中山さんのすごさは、「最後に中山さんにボールを集めよう」とみんなに思わせていたこと。それは必死に練習に取り組んでいたから。ゴールキーパーをかわして中山さんにパスを出す選手もいた。考えられないじゃないですか。すごい人です。
「景色を全部見たかった」
ヒデ:そして、藤田さんはオランダに行きました。藤田:20代前半に、1回は欧州のチームに行ってみたいと思ってました。でも簡単に海外に出れない時代でした。その悶々とした気持ちがあって、「ここで挑戦してみよう」と思って行きました。
サッカー選手として見られる景色は全部見たいと思ってたんですね。ただちょっと遅かったですね。32歳で行って「何しに来た?」って言われましたよ。
ヒデ:でも、今の仕事で役に立ってるわけでしょ?。
藤田:僕が経験したことは若い選手にすべて伝えます。その上で「最後は自分で選択して、自分の道を切り開いていってくれ」と。
最後までサッカー小僧だった
ヒデ:2011年の引退まで、名古屋、熊本、千葉と渡り歩いた。どんなプロ生活でしたか?藤田:最後まで楽しんでサッカーしたなと。僕って細いし、背も高くないし、そんなタフじゃないし。でも、ずっとサッカー楽しくやってきたっていうのがすべてだったなと思います。
ヒデ:僕は引退試合に行かせていただきました。引退の決断は何が大きかったんですか。
藤田:簡単にできることができなくなったり、得点も取れなくなって、してはいけないミスをしたり。やっぱり自分じゃないなと。それが最後のジャッジかな。あと、やっぱり自分も楽しめない。
ヒデ:今は教えることに楽しみを見出している?
藤田:自分が指導者になったらどんなスタイルでやるんだろうっていうのが分からなかった。確固たる指導論もないまま、引退してすぐオランダに行ったので、ずっとそれを模索してきました。
ヒデ:ダイレクターの仕事とは。
藤田:シンプルに言えばチーム強化ですね。だけど、それだけにとどまらず、ジュビロ磐田っていうチームがいろんな人に愛されるクラブにもっともっとなれるようにすべてを行う。会社のみんなと力を合わせて、より良くしようと。
ヒデ:選手だけが強くなればいいわけじゃないもんね。
藤田:ジュビロを通じてみんなが楽しくなったり、明るくなったり、そんな存在になりたいですよね。
リスナーとの一問一答
鬼頭:リスナーからたくさん質問が来ています。「参考にしているクラブは?将来に向けてビジョンがあったら教えてください」
藤田:僕は引退して8年間オランダにいたんですけど、地元の皆さんが地元のクラブをすごく愛してるんですよ。こういう姿になりたいですね。
リスナー:「N-BOXがあれだけ強かった要因はなんですか」
藤田:もちろんN(名波浩さん)が良かったっていうのもあるけど、その周りの衛星もだいぶ良かった。
リスナー:「横内監督就任にあたり、どうやって口説き落としたのかなど裏話はありますか?」
藤田:お互いちょうど日本代表に関わっていた時期があって。ヨーロッパに横内さんが来たときに、僕が5時間ぐらい車を運転して、いろいろな視察に回ったことがありました。それでお互いのことがわかってたので、何かあれば声をかけようと思ってました。
リスナー:「ゴンさん、今沼津で快進撃続けてます。やっぱり気になりますか」
藤田:自分は監督に向いてないって口癖のように言うんですよ。だけどやっぱりやる人ですよね。それだけです。
J1復帰のキーマンは?
リスナー:「今季は選手補強できない中で、仮にもしできたとしたら、どのポジションが候補でしたか」藤田:中山さんを継ぐような9番。得点力のある。
リスナー:「J1復帰のキーマンはいますか」
藤田:そりゃ全員ですよ。だけど、やっぱりストライカーじゃないですか。ジャーメイン!あと、金子、金子(笑)
リスナー:「横内監督の特徴を教えてください」
藤田:ズバッと言う人ですね。あんまりオブラートに包まない。あと声が大きい。
リスナー:「俊哉さん、いつもクールにスーツを着こなしてますが、こだわりのポイントは?」
藤田:紺のスーツに白いシャツに、ネイビーのネクタイ。で、黒い靴。以上。
リスナー:「メンタルはどうやって鍛えてますか」
藤田:あんまり乱れることがないですね。凹まないし、寝て忘れる。
「ジュビロを見守ってほしい」
ヒデ:将来的なことも聞いてみたい。いつか監督、そして日の丸あたりも?藤田:そういうのも、いつどうなるかわからないじゃないですか、この世界って。だってジュビロに戻ってこれると思わなかった。だからすべての可能性はあるんじゃないかなと思います。
ヒデ:最後にジュビロサポーターの皆さんにメッセージを。
藤田:残り試合、ジュビロはまだまだハラハラさせちゃうと思うんです。だけどそれを見守ってほしいですね。後押ししてほしいし、楽しんでほしい。県内4つのJクラブで静岡のサッカーを盛り上げていきたいと思います!
サッカー大好き芸人、ペナルティ・ヒデと、サッカー中継のリポーターとしても活躍する鬼頭里枝の2人がお送りする番組。Jリーグから海外サッカー、ユース世代、障がい者サッカーなど幅広くスポットを当て、サッカーを通して静岡を盛り上げます。目指すは「サッカー王国静岡の復権」です!