
サッカーU-22日本代表・大岩剛監督(清水商業高出身)が語る“世界との距離”
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パリ五輪を目指すU-22日本代表を率いる大岩剛監督(日本サッカー協会提供)
ヒデ:3月の欧州遠征をテレビで拝見させていただきました。しっかりとしたチーム編成をしていらっしゃる印象を持ちました。メンバーに入っていた鈴木唯人選手(ストラスブール)に「今日は大岩監督がご出演されるから、ちょっとメッセージを」と連絡しましたが、全然既読にならない(※ヒデさんと鈴木選手はともに市立船橋高出身)。今度走らせておいてください(笑)。
鬼頭:時差!時差!フランスですから。
大岩:あの遠征の後、ストラスブールに行ったんですよ。練習場で向こうの監督とGMに「鈴木唯人を頼む」と言ってきましたよ。
ヒデ:ありがたいなあ。
大岩監督プロフィール 清商から筑波、Jリーグへ
鬼頭:まずは大岩監督のプロフィールを紹介します。静岡市清水区の三保第二小、清水第五中を卒業し、清水商業高に入学。高校時代は名波浩さん、山田隆裕さん、薩川了洋さんらとともに全国総体、そして全日本ユースを制しました。ヒデ:当時のメンバーは、ほぼ全員Jリーガーなったんじゃないかな。
鬼頭:そして筑波大を経て、名古屋グランパスエイトに入団。ジュビロ磐田、鹿島アントラーズと渡り歩きまして、引退後は鹿島の監督、現在はパリ五輪世代のU-22日本代表監督を務めていらっしゃいます。
ヒデ:名波さんが日本代表コーチになられました。お互い刺激になってるもんですか。
大岩:夢フィールドというサッカー協会の施設でよく会いますよ。コミュニケーションはよく取っています。3月のサムライブルーの活動にU-22世代の選手が2人参加したので、選手の特徴など情報共有はすごくしました。
ヒデ:本音で意見交換できますよね。
大岩:意見交換なんて堅苦しいものではないんです(笑)。
ヒデ:「あいつはこうだ」とか「こいつは絶対アリだ」とか、そんなレベルですか。
大岩:そんなレベルです(笑)。
鬼頭:清水区三保の出身とは存じ上げませんでした。こんなすごい方が三保にいたんだと驚きました。
ヒデ:サッカーボールを投げたら、Jリーガーに当たるって場所ですからね。当時はゴロゴロいたんですから、「大岩」だけに。
大岩:三保はすごく狭いエリアですが、一つ上の先輩の藤田俊哉さんもそうですし、もう一つ上では三浦文丈さんも。

選手を指導する大岩剛監督(日本サッカー協会提供)
大岩監督が今も誇りにするNボックス「強くもあり、美しくもあり」
鬼頭:試合がない時はどんな1週間を過ごしてますか。大岩:スタッフミーティングや、Jリーグの視察。U-22は大学生もターゲットなので、全国のリーグを把握して、スタッフ総出で選手リサーチをやっています。
ヒデ:サッカーを始めたのは何歳の頃ですか。
大岩:小学校1年の時に少年団に。清水って独特で、サッカーをやるのは普通でしたね。
鬼頭:清商時代は誰と仲が良かったですか。
大岩:それこそ名波と山田と、いつも一緒にいましたね。
鬼頭:3人のうち、彼女がいた人は?(笑)。
大岩:これ、言っても大丈夫なんでしょうか(笑)。みんないましたよ。
ヒデ:そりゃいますよ、私だっていましたから!相方の脇田(ワッキーさん)だっていましたよ。
鬼頭:いや、ワッキーさんは面白いから!
ヒデ:いや、当時はさほど面白くなかった…。清商時代の3年間はご自身の中でもやっぱり大きいものですか。
大岩:大きいですね。清水はサッカーへのこだわりがあるので、影響はすごく受けてますね。
ヒデ:引退の時は、まだまだやれるんじゃないかって僕ら世代は思いました。ご自身で区切りだなという瞬間があったのですか。
大岩:38歳で引退をしたのですが、当時、内田篤人や大迫勇也が入ってきて。20歳近く下の選手と一緒にサッカーをする喜びもありましたが、その差も痛感してくるというか。
ヒデ:印象に残る試合やタイトルは。
大岩:一番長く在籍した鹿島アントラーズ時代の3連覇だったり、引退した年の天皇杯優勝だったり。ジュビロ磐田に在籍していた2001年ごろは「Nボックス」と言われるシステムをやっていて、強くもあり、楽しくもあり、美しくもあり。そういう歴史に残るチームにいたことは誇りです。
ヒデ:本当に面白いサッカーを見せてくれましたもんね。まさに、私も魅了された1人です。今はジュビロ磐田も、そしてライバルの清水エスパルスもJ2で戦っています。
大岩:寂しいです。いつも注目しているので、早く戻ってほしい。今季は県民の皆さんに藤枝MYFCも含めて注目していただき、ダービーが盛り上がってくれればいいなと思います。
指導者としての「大岩剛スタイル」とは?
ヒデ:現役引退された後は指導者の道を歩まれています。ご自身の時代と変わった部分はありますか。大岩:今はいろいろな情報や映像を得られるので、「賢さ」はあるんじゃないかなと思います。ただ、やっぱり海外と戦うとなると、戦術を語る以前に、1人1人の戦いの差がまだまだあるなと感じています。
ヒデ:選手とのコミュニケーションの取り方で、「大岩剛スタイル」みたいなものはありますか。
大岩:距離感は、はっきり取ろうとしてますね。鹿島の監督時代もそうでしたが、やはり選手のそばにいるのはコーチであって、監督ではないと。ただ、選手がこちら側に何かを訴えかける環境というのは、備えておきたいなと思っています。
ヒデ:クラブチームの監督と代表監督との違い、難しさ、面白さはありますか。
大岩:難しいところは、活動時間が少ないこと。それは決定的な差ですね。ただ年代のトップレベルの選手が来ていて、技術的、戦術的な理解力はすごく長けているので、楽しいですね。

大岩剛監督(日本サッカー協会提供)
ヒデ:パリ五輪に向けて話を聞きます。東京五輪はコロナ禍の中でもベスト4入りしました。でも、やっぱりメダルまでは届かなかった。今、世界との差は縮まっているのか、メダルを取れるような域までいっているのか。監督の考えをお聞きしたいです。
大岩:近づいているようで、近づいていないと思います。当然世界も前進しているので、我々の前進の速度を早歩きからジョグ、そしてスプリントという形で上げていかなければいけない。一筋縄ではいきません。
鬼頭:清水エスパルスにいた鈴木唯人選手。ヒデさん、やっぱり期待したいですね。
ヒデ:もちろんです。ほかにジュビロ磐田の高校生、後藤啓介選手なんかも出てきましたしね。パリ五輪もあと1年ちょっとです。最後にメッセージを。
大岩:あと1年半後に大会があります。今年の11月にはIAIスタジアム日本平で壮行試合があり、清水で、皆さんの前でプレーをします。ぜひ応援に来ていただいて、我々の後押しをしていただければと思います。
ヒデ:監督には、やっぱりスタジオにも来ていただきたい。我々互いに高校サッカーのきつい経験をしたわけですから。急に私もね、先輩風吹かす感じになってますけれども、ぜひお時間ある時に。また夢を見させてください!



サッカー大好き芸人、ペナルティ・ヒデと、サッカー中継のリポーターとしても活躍する鬼頭里枝の2人がお送りする番組。Jリーグから海外サッカー、ユース世代、障がい者サッカーなど幅広くスポットを当て、サッカーを通して静岡を盛り上げます。目指すは「サッカー王国静岡の復権」です!