アニメをこよなく愛した漫画家・松本零士さん。その功績を振り返る
SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回は2023年2月に亡くなられた漫画家の松本零士さんについて、お話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん
アニメーションが大好きだった
漫画家として有名な松本零士さんですが、アニメーションのこともずっと好きだったと公言されています。初めて見たアニメは1943年に公開された『くもとちゅうりっぷ』という戦前・戦中を代表するモノクロアニメ。小学生の頃には、戦前に作られた『ガリバー旅行記』というカラーのアニメーション映画を見てすごく感動したそうで、そのあたりは『遠く時の輪の接する処』(東京書籍)という自伝で触れられています。
漫画家志望だけど、いつか自分のアニメも作ってみたい!そんな風に思っていたようですね。そのあたりは手塚治虫先生と似ている感じもあります。
そして夢が高じて、上京後、下宿している時代に、原稿料をはたいてアニメを作るための撮影台を作っちゃうんです、自分で。コマ撮りができるいい8ミリカメラを買ってきて、下に絵を置く台を作るんです。それで上からコマ撮りをすると、アニメを作れる。あくまでアマチュアの範囲ですけど、そうやって撮影台を自分で作ってしまうくらいアニメをやりたかったんですね。
「松本零士」ブームの到来
1974年に深く関わった『宇宙戦艦ヤマト』がテレビ放送され、1977年にその劇場版が当たったこともあって、松本零士さんのアニメを作ろう!という機運が盛り上がります。そして実際、1977年から1982年にかけて10作以上のアニメに関わることになります。ヒットしてシリーズ化した『宇宙戦艦ヤマト』を別にしても、例えば1977年の『惑星ロボ ダンガードA』1978年の『SF西遊記スタージンガー』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』が松本零士原作です。そして1979年に『銀河鉄道999』の映画版が作られ、これがヒットします。
1981年にテレビで『新竹取物語 1000年女王』が始まり、映画では『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』が作られ、1982年に映画『1000年女王』が公開。よく1980年前後のアニメブームは「ヤマト・ガンダム・マクロス」という流れで説明されるのですが、この流れと重なり合うように、「松本零士」というめちゃくちゃ分厚いブームがあったんです。
原作者としてのこだわり
例えば松本零士さんは映画『銀河鉄道999』では、ものすごく細かく自分でプロットをたくさん書いています。原作者の中には原作だけ書いて、あとはおまかせという人もいるんですけど、松本零士さんはかなり深くコミットするタイプでした。そんな松本零士原作のアニメの中から今日オススメしたいのが『ザ・コクピット』です。『ザ・コクピット』は、松本零士さんの代表作で、第二次世界大戦中の戦場を舞台にしたメカと人間が登場する短編シリーズです。その中の有名エピソード3本(『成層圏気流』『音速雷撃隊』『鉄の竜騎兵』)がアニメになっているのですが、これらは原作に忠実かつ映像の出来栄えも素晴らしいです。3本とも松本零士さんのいいところをギュッと圧縮した感じなので是非見ていただければ。
1980年前後の松本零士さんは、次から次へとアイデアと作品を送り出した、時の人でした。そうやって一時代を作ったのです。僕自身もその波を浴びた世代で、もろに影響を受けています。漫画はストーリーテリングというよりは情感で見せるタイプなので、短編に面白いものが多いのが特徴です。例えば『銀河鉄道999』も、ひとつの惑星に停車してそこで事件が起きて、また鉄郎とメーテルは去っていくという連作短編のパターンを繰り返すことが、ひとつの味になっています。
自伝『遠く時の輪の接する処』を読むと、高校卒業後に上京し、実家に仕送りをしながらという苦労の多い状況で、でも漫画家として頑張ろうという志の高さが書かれており、それが様々な作品にすごく反映されていることがわかります。つくづく、作家と作品は一体なんだなと思わされますね。(2023年2月20日放送)
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