高校受験の合否をSNSですべて公開!
川内:昨日、ジャガー横田さんが家族3人の写真をインスタグラムにアップしました。これがニュースなんです。えっ?たったそれだけ?と思ってしまうんですが、「家族3人」というと、4月から高校に進学して寮生活が始まる長男の大維志くんと、ご主人で医師の木下博勝先生との3人の写真なんです。そして3人とも満面の笑みなんです。牧野:その笑顔の理由というのは?
川内:大維志くんの高校合格が、つい最近発表されました。
牧野:それはよかったですね!
川内:よかったんですが、なんと受験した高校の数が10校!実は受験も2月から始まっていて、ずっと受験していたんです。親子3人の長い戦いが、先ほどお伝えしたように、合格によってようやく終止符が打たれたというわけなんです。ただ、今回注目されているのが、高校入試の結果を大維志くん自らがSNSで全部公開していたということ!
どういうことかといいますと、受験のたびに合否を全部報告していたんです。最初のうちはSNSですから「次、がんばれ!」とみなさん応援ムードだったんですが、5校目の受験あたりから……。
牧野:なかなか掛ける言葉が見つからなくなってきますね。
川内:そうなんです。まず芸能界でも、こうやって受験の合否は発表しないのが常なんです。本当にその都度発表していて、それも不合格が続くと、「あれ?大丈夫かな?」と。SNSを読んでいる人は、「ここまで発表しなくてもいいんじゃないの?」「大維志くんのメンタル大丈夫?」「もしかして、誰かにやらされているんじゃないの?」と。
牧野:そこが心配ですよね。
川内:「わざと偏差値の高いところを目指しているんじゃないの?」「高望みしてるんじゃないの?」と、疑問や批判の声が上がり始めたんです。すると大維志くん自身が批判的な意見に対し、こうコメントしています。
牧野:本人が、自分の意志でそう言ってるんですね。「まあ、来るとは分かってましたが、肯定的でも否定的でもゴチャゴチャ言われる筋合いはないと思ってます」(原文ママ)
川内:そうなんです、そしてさらにこんな風にも書いています。
「結果俺ちゃんの意図が解読できる人間にしか理解できない」(原文ママ)
このあたりも15歳にしてはすごいなと思いました。結果を言うと、10校受けたうちの9校連続して不合格。最後の1校、浪人覚悟で受けた10校目が合格となって、1勝9敗なんです。ちなみに合格した学校は偏差値65以上、彼が受験した学校のなかで2番目に偏差値の高い高校だったと木下先生は話しています。
受験となると子どもだけじゃなくて親も大変じゃないですか。木下先生は、今回10校も受けることになったその理由は内申点だと話しています。第1志望も第2志望も、内申点が足りなくて受けられなかった。通っていた塾からは「3年生の2学期の成績を頑張れば内申点は大丈夫」と言われていたのに、実は1学期の成績も関係したため、内申点が足りなかったんですって。そのため急遽いろんなことが変わり、このような結果になってしまったと話しています。
大維志くんというと、中学受験のときも150日間に渡る受験の模様を、ある情報番組が密着して、高視聴率を獲得、大人気でした。頑張っている姿が健気なので、大維志くんウォッチャーが誕生したほど。当時、日本一有名な中学生とも言われていました。
牧野:そういう背景があっての今回なんですね。
川内:ただ、中学に入ってからの大維志くんは、ヘアスタイルがかなり独特になっていって。最初はピンクに染めて、紫、青、さらには金髪、モヒカンと変化していくんですよ。自由な雰囲気の学校でもあったんですが、それをSNSにアップするんです。今回の受験でそういうのは内申点に響いたんではないかとも言われています。大維志くん自身は、将来の目標はお医者さんになること。高校を卒業したら海外の大学に行きたいんだそうです。
牧野:じゃあ、お父さんのあとを継ぐということなんですね。
川内:だからお父さんが一生懸命、大維志くんと一緒になってSNSを頑張っていたんです。ちなみにジャガー横田さんは、受験の合否をオープンにすることは反対だったんだそうですよ。結果的に夫婦関係の方が心配になってきた感じもするんですけどね(笑)。
牧野:そこも意見が分かれているんですね(笑)。私のまわりでも、子どもの顔をSNSに出すことに対して賛否の声がありますし、それをどこまで出すのか、さすがに学校の合否までは……という声も上がってきそうですが、家庭によって違いますからね。
川内:ただ、彼の場合は中学受験のときからなので、顔出しとか有名人になることに抵抗はないようなんです。
牧野:将来的なSNS運用を見据えつつかもしれませんしね。
川内:うまく運用して欲しいですよね。
牧野:今回もありがとうございました!
今回、お話をうかがったのは……川内天子さん
新潟県生まれ。亜細亜大学法学部卒業後、東京・虎の門病院で医療事務の仕事に就くが、司会の仕事への夢が捨てきれず、退職。ラジオたんぱ『ニューストゥデー』のリポーターになる。その後テレビに転向し、朝日放送『モーニングショー』で事件を担当。テレビリポーターとしての活動をスタートさせる。日本テレビ『ルックルックこんにちは』では、レギュラーリポーターとして芸能を担当。