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徳川家と関わり深い常磐町二丁目で新しく命名された道『ときわ葵門前通り』と、 それに関わるあれこれを取材してきた

ときわ葵門前通りと3つのお寺

ときわ葵門前通り

今年、常磐町二丁目にある宝台院を筆頭に徳川家にゆかりのある3つの寺を通り常磐テラスにつながる道の名称が『ときわ葵門前通り』に決まった。

近年、周辺のいくつかの通りも新たな名称が決まっていて、連動する形で、名前を決めることになったという。名前がつくことで歴史を知るきっかけとし、それを感じられる場所にしていきたいとの思いもあるそうだ。

通りの南に位置する『宝台院』は、江戸幕府2代目将軍である徳川秀忠の生母『西郷の局(さいごうのつぼね)』、通称『お愛の方』の菩提寺で、15代将軍の徳川慶喜が大政奉還後、1868年に駿府に身柄を移され1869年に謹慎が解かれるまで生活していた場所でもある。お愛の方は死後ここに葬られ、秀忠の時代に駿府の徳川家の菩提寺となる。

宝台院の本堂にある白本尊 

本尊は、国の重要文化財である『白本尊』と呼ばれる阿弥陀如来立像。これは増上寺の黒本尊と同じく家康の守り本尊だったものだ。そのほかにも、家康の自画像や父である広忠から譲られた太刀、慶喜の愛用品など徳川家に関わるものが多数ある。

それらの品々は宝物室で観覧することが可能だ。土日は事前申請が必要だったが、今年は予約なしで見ることができる。また、境内で行っていたイベントも、徐々に再開していく予定だという。

常光寺にある新門辰五郎建立の墓

通りを北に進んだ右手にある『常光寺』は、1603年に建立された。慶喜が身柄を移された際に、護衛として来た新門辰五郎が住んだ場所でもあり、境内にはその妻と戊辰戦争で倒れた子分の墓がある。江戸町火消し6組をまとめる『十番組』の頭領で、大江戸一の侠客として幕末の江戸庶民の憧れの的だった辰五郎は、慶喜からの信頼も厚かったという。

静岡に住んでいたのは数年であったが、江戸木遣りを伝えたり、静岡町火消しを組織したりした。また、現在の駒形一丁目に『玉川座』という立派な芝居小屋を建てるなど、江戸の町人文化をもたらした。玉川座は、座主が変わる際に『小川座』、『若竹座』と改称されながら引き継がれていき、後の七間町映画館街へ発展する礎を築いた場所となった。

寺では、春秋の彼岸と7月のお盆法要に、木遣同好会・東嘉会(とうかかい)による伝統的な江戸木遣りが、墓前にて披露される。

教覚寺

その向かいの『教覚寺』は、1616年に徳川家康の家臣だった松下常慶の屋敷跡を譲り受けて桶屋町から移転してきた。常慶は、駿府城築城の際の功績により場内に常慶蔵や常慶門(東御門)の名前が付けられた人物で、家康から屋敷も与えられたという。それが現在の教覚寺の場所にあり、1945年まで境内だけで、『常慶町』という1つの町名を持つ珍しい所でもあった。明治の初めには一時期、渋沢栄一が寄宿していたそうで、娘の穂積歌子が書いた『はゝその落葉』には寺のことが記されている。

現在は、売り上げを被災地に寄付する『ダーナ活動』として、一般向けに物販を行う『ダーナショップスペシャル』(今年は11月18、19日)や2ヶ月に1回ほど『お寺でYOGA』なども行っているそうだ。

常磐テラス

常磐テラスでのイベントの様子

ときわ葵門前通りの北側に位置する『常磐テラス』。水と緑の空間でゆっくり過ごすなど、日常的に憩いの場所として使ってほしいとの思いもあり、ベンチとデッキを設置し2年前に命名された。

夏と冬には、デッキを利用したイベントも行われる。毎月第2日曜日に常磐公園で開かれる『常磐朝市』で買ったものや普段のお弁当をテラスで食べる〝ソラメシ〟もオススメ。歴史散策の合間や日常の休息の場としてぜひ利用してみてはいかがだろうか。

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静岡と静岡に住む人を結ぶフリーマガジンです。タイトルは、「すろーらいふ」「ローカル」「カルチャー」の3つを組み合わせた造語。地元静岡を舞台に、文化を掘り起こし、すろーらいふ=その人らしく充実した愉しい生活のヒントを発信しています。特に『地域クローズアップ』では、お店や企業の情報に加え、その地域ならではの話題を独自取材。ぜひご注目を。

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