上映時間175分があっという間だった。観客をスクリーンに没頭させる力を持つ映画だ。東宝配給の映画だが、エンドクレジットを見たら松竹と東映の撮影所の名前も出てきた。歌舞伎の映画だから松竹の協力はあるだろうと思っていたが、東映の名があることに驚いた。この映画が放つ「総力戦」のようなにおいは、この座組みも無関係ではないだろう。
直線的なのに蛇行する物語。それなのに見る者を誰ひとり振り落とさない。首をかしげる展開が一切ない。細田守監督の一連の作品の印象が強い奥寺佐渡子さんの、吐息一つにも命が宿る脚本が素晴らしい。一つ一つの演目をそれぞれ語りたくなる歌舞伎の舞台シーン。役者の背後からのアングルが多用され、「歌舞伎」という存在の深淵を突きつける。
そして、どれだけの時間を費やしたのだろうと思わせる吉沢亮さん、横浜流星さんの歌舞伎役者としての所作。パンフレットを読んだら吉沢さんは約1年の修練を積んだとある。3カ月後に合流した横浜さんの「成長度合いが半端じゃなかった」と語っている。下手をしたら追いつかれる。そんな恐怖心が湧いたそうだ。
これはまさしく、本作で描かれる物語そのものではないか。虚実ない交ぜがそのまま映像になっている。二人の共演場面はそれぞれがつっかい棒と真剣の両方を握っているような空気がみなぎっていた。その理由はこれだったのか。
吉沢さんと横浜さんの画面の中の立ち位置は、時代ごとにはっきり変化する。どちらが「優位」なのかを象徴的に表してみせる。舞台の上手(かみて)、下手(しもて)を意識させるかのように。
「曽根崎心中」の上演2回がクライマックス。同じ演目なのに1回目と2回目の見え方の違いが甚だしい。ここにも虚実ない交ぜの演出が施されている。あえて演じ手の名を伏せるが、物語の主役である遊女お初、お初に身も心もささげた歌舞伎役者という二つの仮面をかぶった演技は、背筋にビリビリと電流が走るようなすごみがある。筆舌に尽くしがたい美しさと言ってしまおう。
白と赤で始まり、白と赤で終わる。白はあらゆるものに染まる色だが、あらゆる要素を切り分ける色でもある。そして赤は命の象徴に見える。ラストシーンでとある人物が歌舞伎役者の人生を指弾する。「どれだけの人を犠牲にしてきたか」。隈取りの赤、口紅の赤、流れ出る血液の赤は「犠牲の赤」なのだ。
役者としてしか生きられない悲喜劇に、見る人は自分を重ねて涙する。いいときもある。わるいときもある。誰の人生もそんなもの。ほら、歌舞伎役者だって。本作の伝えるメッセージは案外そんなシンプルなものだったりする。
(は)
<DATA>※県内の上映館。6月14日時点
シネプラザサントムーン(清水町)
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シネシティザート(静岡市葵区)
藤枝シネ・プレーゴ(藤枝市)
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TOHOシネマズ浜松(浜松市中央区)