​【石川慶監督「遠い山なみの光」】広瀬すずさんの表情の演技が秀逸。ニュー・オーダー「セレモニー」が象徴的に鳴り響く

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は静岡市葵区のシネシティザートなどで9月5日から上映が始まった石川慶監督、広瀬すずさん(静岡市清水区出身)主演の「遠い山なみの光」を題材に。2025年の第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品。原作は、2017年にノーベル文学賞に選出された作家カズオ・イシグロさんの1982年の長編小説デビュー作。石川監督は、浜松国際ピアノコンクールをモデルにした2019年の「蜜蜂と遠雷」も監督している。

最終盤にぞわぞわと湧き上がる広瀬すずさんへの畏敬と、少しばかりの恐怖。ちょっと味わったことのない感情が喚起される。原作を読まずにこの作品に接して正解だった。

原爆投下の記憶を残しつつ街並みは復興しつつある1950年代の長崎と、1980年代のイギリス郊外を行き来する構成のヒューマンミステリー。緒方悦子という一人の女性を、広瀬さんと吉田羊さんが演じる。吉田さんが次女に語って聞かす若き日の自分が広瀬さん、という構造だ。

1980年代、ソファで眠る吉田さんの場面がほんの少しあって、舞台はすぐに1950年代に移る。シャーシャーとセミの鳴き声が響く集合住宅に夫二郎(松下洸平さん)と住む悦子が、ベランダから河川敷にある家に目をやる。エメラルドグリーンのスカーフを巻いた女性・佐知子(二階堂ふみさん)が米軍兵を迎え入れている。日差しの強さも相まって、少し目を細める悦子。

ここでタイトルが出る。バックに流れるのは英国バンド、ニュー・オーダーの「セレモニー」だ。高いフレットで弾くベースギターのフレーズに導かれる曲は、前身バンドのジョイ・ディヴィジョンのリーダーだったイアン・カーティスが離婚協議中に妻への贖罪の念を込めて作ったという。

楽曲のテーマが、そのまま物語の主題に重なる見事な選曲。ラストにもこの楽曲が流れるが、聴こえ方が違う。贖罪や後悔を乗り越えて、ネクストステージに歩き出す人間のたくましさのようなものを感じ取った。

1950年代長崎のパートは、広瀬さんと二階堂さんの顔が頻繁にクローズアップされる。第1子を妊娠した貞淑な家庭人を絵に描いたような悦子と、シングルマザーとして強くあろうとし、自由な未来を夢見る佐知子。対照的なキャラクターの二人は、物語が進むにつれ思考や行動に似通った点が表れ出す。

長崎弁を駆使する広瀬さんと、1950年代の映画俳優のような話し方をする二階堂さんは、二人の「重なり」が徐々に増えていく様を、巧みな顔の演技で表現する。まなざしや口の形一つも見逃すことができない。

本作はあえて狭いフレームで撮影していて、広瀬さんと二階堂さんの二人、あるいは二人のどちらかの顔だけが大写しになるシーンが多い。俳優にとってはごまかしのきかないカメラワークだが、二人の演技は一度として画面を弛緩させることがない。

二階堂さんを背後から、広瀬さんを正面から撮り、これを交互に見せるという手法を2回使っている。相似する二つの場面は、そこで行われている行為の結果もまた相似形を成す。本作のハイライトの一つだ。そこで扱われている「罪」は、1980年代にどう伝えられるのか。

これは、過去を受け取り、未来にそれを解き放つ『語り継ぎ』の話だ。映画は観客に問いかける。あなたはそれをためらいなくやれますか、と。

(は)

<DATA>※県内の上映館。9月6日時点
シネプラザサントムーン(清水町)
シネマサンシャインららぽーと沼津(沼津市)
MOVIX清水(静岡市清水区)
シネシティザート(静岡市葵区)
藤枝シネ・プレーゴ(藤枝市)
TOHOシネマズららぽーと磐田(磐田市)
TOHOシネマズ サンストリート浜北(浜松市浜名区)
TOHOシネマズ浜松(浜松市中央区)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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