
徳川家康が晩年を過ごした駿府城は、どんな天守があったかなど詳細は謎に包まれています。その謎を解き明かすきっかけになるかもしれない貴重な絵図が、山梨県で発見されました。専門家は、これまでの絵図の中で、最も詳細に描かれたものだと話しています。
<歴史学者 平山優さん>
「家康が住んだ形を唯一詳細に記録したのがこの資料になる」
今回見つかったのは、1656年より以前に描かれたとされる駿府城の絵図です。絵図を収集する山梨県在住の藤原義久さんが古書店で手に入れたもので、専門家に相談したところ貴重な絵図だということが分かりました。
縦72センチ、横75センチのこの絵図は、原本から姫路藩が写したものだと考えられています。江戸幕府が築城した城は、機密情報も多いため、原本から写しが作られることは少なく、ここまで精密に駿府城が描かれたものはないということです。
<日本城郭協会 加藤理文常務理事>
「この絵図の何が一番すごいかと言うと、天守が描かれていること。天守の姿や形は今までこれほど詳しく描いてあるのはない。平面形で建物が描いてあるのが見つかったのは初めて」
この絵図でこれまで分かっていなかった天守の構造や、どこが入り口かなどの情報が分かるということです。さらに天守の周りを多聞櫓が囲んでいること、中仕切りという城の防御性を高める壁がどこに配置されていたかも、読み取れるということです。
<加藤常務理事>
「今まで分からなかった駿府城の櫓の位置、多聞櫓の構造、中仕切りなど、いわゆる駿府城の戦うためのもの(設備)が全て描いてある」
加藤さんは今後調査を進めれば、さまざまなことが解明されていくのではないかと話します。絵図はベールに包まれた駿府城を解き明かすための貴重な資料として期待されます。