
献花台には、にっこりとほほ笑む80代の修さんの遺影が飾られ、午前は鈴木康友知事をはじめ静岡県内の政財界関係者が相次いで訪問した。午後は地元の市民らが多く訪れ、花を手向ける長い列をつくった。
スズキの鈴木俊宏社長は改めて「情熱と信念を受け継ぎ、私たちは新たな挑戦を続けていく」とするコメントを寄せた。
■ 「100年に一人の経営者」「温かい人だった」
スズキのお膝元、浜松市で14日開かれた鈴木修さんのお別れの会には県内の政財界関係者のほか、一般の市民を含めて計約2500人が訪れ、市民の足として身近な車を世に送り続けた名物経営者の死を悼んだ。
鈴木康友知事は「衆院選、市長選、知事選と節目節目で私にとって大きな存在だった。本当にいろいろなことを教えていただいた」と述べた。本社がある浜松市の中野祐介市長は「地域の産業、地域そのものに懸ける思いをしっかり形にしなければ」と誓い、相良工場が立地する牧之原市の杉本基久雄市長は「今後もスズキと連携してまちづくりを進めたい」と決意を述べた。
地元財界の盟友、大須賀正孝ハマキョウレックス会長は「100年に一人の経営者。昼間に自分の会社、夜になると浜松のことを真剣に良くしようと考えていた」と懐かしんだ。斉藤薫浜松商工会議所会頭は初めて買った自動車が軽自動車「アルト」だったというエピソードを明かし「世界的な会社だが、ものすごく細かく地元のことを指導してもらったのが印象的」と語った。
中西勝則しずおかフィナンシャルグループ会長は「心が温かい人だった」と振り返り、スズキのトップとして本県経済をけん引した修さんの死去に「大きな後ろ盾がいなくなった気がする」と喪失感を口にした。後藤康雄はごろもフーズ会長は「かけがえのない人だった。経営者として見習わなければいけない大先輩」と惜しんだ。
磐田市で軽トラ市を開催する団体で代表を務める山下貢史さんは、仲間5人とそろいの赤いジャンパー姿で参列した。「(修さんには)5回ぐらい会場に来てもらった。同じ目線で『地域を盛り上げるために応援している』と声を掛けてもらったのが思い出」と懐かしそうに振り返った。