「頑張れよと叱咤激励を受けた」スズキをグローバル企業に導いた鈴木修さん 発展支えた関係者らが別れを惜しむ=浜松

自動車メーカー「スズキ」で社長や会長を務めた鈴木修さんを悼むお別れの会。先日、都内で開かれた会に続き4月14日、浜松市でも執り行われ、鈴木康友静岡県知事や中野祐介浜松市長のほか、スズキを支えてきた地元企業の関係者が別れを告げました。

4月14日、グランドホテル浜松で開かれたのは、鈴木修さんのお別れ会です。鈴木修さんは、自動車メーカー「スズキ」で社長や会長を務め2024年12月25日に亡くなりました。

誰でも気軽に乗れる小さな自動車づくりにこだわり続けた鈴木修さん。会場には、初代「アルト」や「ジムニー」といった軽自動車のヒット商品が並んだほかー。

<浜松総局 中西結香記者>
「展示会場には、鈴木修さんが残した言葉が一面に記されていて、仕事への思いが伝わります」

「どこの国でもいいから一番になりたい」。

1978年、社長に就任したときに発した言葉です。ほかにも、リーマンショックの発生前から危機を感じ取り指示した言葉など数多くの名言が記されました。

「どうもおかしい。在庫を減らせ。勘ピューター」

また、鈴木さんが打ち込んでいたゴルフのグッズや仕事道具、応援していた中日ドラゴンズのブルゾンなども並びました。県内政治にも影響力が強く、参列した鈴木康友静岡県知事は遺志を受け継ぐと誓いました。

<鈴木康友 静岡県知事>
「1999年から4半世紀以上にわたって、公私ともにお世話になったおやじのような存在なので、改めてこれまでのご恩に感謝するとともに、心からお悔やみを申し上げた。とにかくやり抜く、やり続ける、意志をもってやり遂げるという強い思いを鼓舞されてきたので、相談役の教えを引き継いで頑張っていきたい」

<中野祐介 浜松市長>
「浜松の経済・地域の発展は、鈴木修相談役が牽引するスズキの発展と歩みを同じくして発展してきたんだなということを改めて痛感した」

<難波喬司 静岡市長>
「『中小企業のおやじ』とご自身がおっしゃっていて、現場目線で、いろんな方を見ておられる方だなと思った。時々、会社にお伺いをしてお話を伺うが、優しく接してくださるが、やはり見方は鋭いというか、そういう見方があるんだなとか、あるいはそういう風にしないといけないんだなと勉強させてもらった」

<浜松商工会議所 斉藤薫会頭>
「地元のことを非常にお考えになる。世界的なレベルの会社だが、ものすごく細かく地元のことをご指導していただける部分があった。非常に人間味のある。目が細くなって。すごく今も心に残っている」

<塩谷立 元衆院議員>
「地元の、ふるさとの本当に偉大な人物を亡くしたということで、誠に残念。改めて足跡を見させていただいて、大変なご協力をいただいて、この地域の発展、自動車産業の発展にご苦労されたことを感じている」

スズキを支えてきた地元企業の関係者も多く参列しました。

<スズキの車の部品の組み立てを請け負う会社の担当者>
「展示場で修相談役の語録があったが、過去にもいろいろ聞いて、懐かしいというかそういう薫陶をいただいていたんだなと改めて感じた」

<スズキの車の部品を作っている会社の担当者>
「すごいですよね。真似ができないですよね、きっと。だから、浜松でスズキを起こして、町工場だと言って、下手下手に出るような人。地道に努力してやった人」

<スズキの工場の電気工事を請け負う会社の担当者>
「頑張れよとか、これじゃだめだとか叱咤激励を受けた。温厚で厳しく、相手のことを考えてくれる素晴らしい方」

鈴木さんも着用していた「軽トラ市」のジャンパーを羽織って訪れる人もいました。

<軽トラ市の代表>
「軽トラ市を温かく見守っていただいたので、これが我々の正装だと思って、あえてこのジャンパーを着て参列した。我々、若者にも的確でわかりやすいアドバイスをいただいたのが印象深い」

スズキをグローバル企業に導いた鈴木さん。その発展を近くで支えてきた関係者らが最後の別れを惜しみました。

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

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