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不妊治療の末、待ち望んだ出産 2カ月後宣告、母子の病【障害者と生きる 第1章 誕生㊥】

 「急げ。早く」。怒鳴る医師と慌ただしく動く看護師。当時34歳だった渡辺裕之さん(58)は予想していた出産の瞬間とかけ離れた様子の分娩(ぶんべん)室で、状況を理解できず立ち尽くしていた。

息子隼さんを58歳の体で抱え、車に運び込む渡辺裕之さん=静岡市清水区、5月下旬
息子隼さんを58歳の体で抱え、車に運び込む渡辺裕之さん=静岡市清水区、5月下旬

 1997年12月1日午後8時10分、旧清水市(現静岡市清水区)の産婦人科。妻美保さん(仮名)と待ち望んだ第1子は、予定日より20日早く生まれた。産声を上げずに。2417グラムだった。「また後で連絡します。ここで待機を」。医師から矢継ぎ早に指示された。わが子は県立こども病院に搬送された。
 数時間後。裕之さんを呼んだ医師は「これから3日間は危険な状態。脳障害の可能性も十分ある。程度は分からない」と告げた。
 「不妊治療の末の待望の子だった。出産ってもっと幸せなものじゃないのか。なんでこんなことが起きるんだ。そんな思いで頭がいっぱいでした」
 3日が過ぎ、「命の危機は脱した」と医師から報告を受けた。うれしい知らせに反して美保さんの両親の表情は浮かなかった。障害児を育てていくことになる2人の将来を案じていたという。
 「救命はしてもらえても、障害児とその家族の行く末までは支えてもらえないとは分かっていました」。それでも、ガラス越しに見る治療室には、呼吸困難になりながらも懸命に生きようとするわが子の姿があった。
 翌日、ずっと前から決めていた「隼(しゅん)」という名前を市役所に届けた。「この子にどんな困難が待ち構えていても、2人で守っていこう」。美保さんと決意した。
 しかし、年が明けた2月、隼さんの診断結果とともに突き付けられた事実は、決意とは裏腹に無情だった。
 「筋強直性ジストロフィー」。聞いたことのない病名の後、医師は続けた。「この病気は遺伝性で、お母さんからです。いつか美保さんにも症状が現れるかもしれません」。全身の筋力が低下し、多くの合併症が出る。治療法は無い。そんな説明を1時間以上にわたって受けた。
 「『怖い。死ぬのかな。なんでこんな目に遭うの』って妻が夜泣くんです。2人で力を合わせていこうと誓ったばかりなのに。運命って残酷ですよね…」
 「波乱の日々」が始まった。

 <メモ>筋強直性(きんきょうちょくせい)ジストロフィー いまだに不明な点が多い指定難病。さまざまな部位で筋肉が壊れて萎縮する。筋強直現象や臓器障害を招く。突然死も多いとされ、患者数は10万人あたり7人程度と推計される。

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