妻の4度目の命日に報告 台風、過酷な介護を直撃 息子と「綱渡りの日々」【障害者と生きる 第4章 災害㊤】
先天性筋強直性ジストロフィーの息子を1人で介護している静岡市清水区の渡辺裕之さん(59)。妻美保さん(仮名)の命日に当たる10月26日、その姿は自宅近くの寺にあった。裕之さんの生活ぶりを静岡新聞の随時連載で最後に伝えてから半年余り。新型コロナウイルス禍や台風15号…。災害は日ごろの介護生活の過酷さなど全くお構いなしに渡辺さんにも襲いかかった。
裕之さんの父清さんは2002年に他界。16年には母美奈江さん(90)が認知症を発症した。頼れる身内はおらず、裕之さんは息子と母を男手一つで介護し、体力をすり減らしながらぎりぎりの生活を送っている。
先天性筋強直性ジストロフィーの隼[しゅん]さん(25)は、たん吸引などの医療的ケアを必要とし、意思疎通を図ることができない。日常生活のあらゆる動作に援助者による介助が必要な「全介助状態」だ。隼さんが生まれて5年後の02年、健康だった美保さんの手足も突然、思うように動かなくなり、筋ジストロフィーによる心不全で18年10月、48歳で亡くなった。
ことし10月26日、美保さんの4度目の命日。平日通っている通所施設に隼さんを預けた後、自宅近くにある美保さんの墓へと向かった。裕之さんが記憶をたどりながらぽつりと言う。「日々が濃密だからなのか長く感じる。まだ4年なのか」
裕之さんと美保さんは、同じ市民向け講座を受講したのがきっかけで出会った。美保さんは明るく社交的な女性だった。2人はほどなく結婚し、旅行に出かけるなど充実した生活を送った。隼さんを授かったのは結婚から5年目。スポーツは何がいいか、孫も見られるだろうかなどと、2人の会話は弾んだ。
しかし、未来は想像とは違った。出産と同時に美保さんの病気が発覚。社交的だった美保さんは病気の進行とともに無気力になり、何事も面倒くさがることが増えた。車いすになってからは裕之さんの負担が増し、好きだった家族旅行にも行けなくなった。
「妻が亡くなってから1、2年間は忙しさであまり思い出さなかったんだけど、最近は考えてしまう時間が増えた。楽しかった思い出はもちろんあるが、もっと優しくしてあげれば、いろんな場所に連れて行ってあげればという後悔も多い」
美保さんが眠る墓に着くと、墓石を洗って花を供え、手を合わせた。「コロナに感染して大変なこともあったけど、隼は元気に過ごしているよ」と真っ先に伝えた。
続いて報告したのは、県内を直撃した台風15号による被害。清水区全域が断水に見舞われた9月24日からの数日間は、裕之さんにとってまさに綱渡りの日々だった。「断水が大変でさ。美保は経験しなくてよかったよ」