(文/論説委員・橋爪充、写真/写真部・久保田竜平)
嶋津さんと言えば、第170回直木賞候補になった「襷がけの二人」(文藝春秋)が記憶に残る。大正15年を起点に、東京・下谷の製缶工場経営者の家に嫁いだ千代と、女中頭のお初の戦中戦後を通じた24年間を描いた人情ものだ。
静岡に関する小さなエピソードが三つ出てくる。その一つが昭和16年の隣組の会合の場面。隣組幹部の妻が「私の田舎が静岡だから」と緑茶の茶葉を置いていき、それを飲んだ千代とお初が「さすがお茶所は違うわ」と感心する。「ごく少量でも香りが立つし、後味もほんのりと甘い」と地の文でも激賞していて、嶋津さんはもしや静岡とゆかりのある方ではないかとすら思った。プロフィルを見たら東京都のご出身ということだったが。
「カフェーの帰り道」はその「襷がけの二人」以来、2年ぶりの単著だ。今回は東京・上野の片隅にある「カフェー西行」の女給たちの人間模様を描く。大正時代が起点になっていて、時系列に沿って連作短編5話を収録している。最初の「稲子のカフェー」は「関東大震災から二年以上」という記述があるから、大正14年から昭和元年の間だろう。締めくくりの「幾子のお土産」の舞台は「終戦から5年が経ち」だから昭和25年か。
読み進めるうちに気がついた。この物語の起点と終点は「襷がけの二人」と全く同じだ。しかも、今で言う東京都台東区界隈が舞台になっている。作者が意図してやっているに違いない。読者は、この二つの物語の登場人物たちが、上野界隈のどこかですれ違ったり、言葉を掛け合ったりしているのではないかと想像を膨らますことができる。
2作の共通点はまだある。複数の女性が主人公であること。そして、大陸での戦争、米国との戦争へと突き進む国の下で、次第に暮らしが困難になるさまが描かれていることだ。戦況の悪化は、前線だけでなく、国民生活や庶民の心に暗い影を落とす。嶋津さんの作品は、こうした「社会の空気」を過度に飾り立てることなく伝えてくれる。
第2話の「嘘つき美登里」は昭和4年が舞台。作り話が得意な女給の美登里が主役だが、当時の世相と言えば、松坂屋上野店の本館が新規開業し、日本初の昇降機ガールが話題になっている。満州事変の2年前。小説世界にはどこかのんびりした雰囲気が漂う。
第3話「出戻りセイ」では、様相が異なっている。時代は太平洋戦争に突入している。勝ち気な美女のセイがひそかに思いを寄せる向井が南方戦線から帰ってこない。第4話「タイ子の昔」では、シングルマザーのタイ子が大陸に出征した一人息子に何度も手紙を送るが、返事は来たり来なかったり。手紙は軍の検閲で一部が黒塗りされている。
物語それ自体には難しさが一切ない。各話は共通して、人が人を思いやる気持ちを扱う。それにも関わらず行間からは、国全体が行き詰まっているがゆえの、重苦しい雰囲気がにじみ出る。ここに作家の大きな力を感じる。20歳半ばまで読み書きができなかったタイ子の、たどたどしくも精いっぱいの愛を込めた息子宛ての手紙には、目頭が熱くなった。
静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。
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