【第173回直木賞候補作品から(5) 塩田武士さん「踊りつかれて」】 義憤に駆られた誹謗中傷がもたらすものとは。SNS時代の被害と加害の反転をリアルに描く

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。7月16日発表の第173回直木賞の候補作品を紹介する不定期連載。5回目は塩田武士さん「踊りつかれて」(文藝春秋)。
2024年本屋大賞にノミネートされ、第9回渡辺淳一文学賞に選ばれた「存在のすべてを」の初版発行が2023年9月30日。今回の「踊りつかれて」は2025年5月25日。連載期間を確認すると、週刊朝日掲載の前者が2022年4月1日号から2023年6月9日号までで、週刊文春掲載の後者が2023年6月22日号から2024年8月8日号まで。共に単行本で460ページ超の濃密な2作を、ほとんど切れ目なく書き続けた塩田さんの集中力の高さはいかほどかと、まずは感嘆した。

「存在のすべてを」は過去の2児同時誘拐事件と、それを追う新聞記者に、何かと硬直的な画壇のありようを交差させていた。「踊りつかれて」も同様の座組みでスタートしている。置き換えるなら、2人の著名人を誹謗中傷した一般38人の情報をウェブ上にさらす〝私刑〟と、その実行者の背後を探る女性弁護士に、現在過去の音楽業界のありようを交差させている。

塩田さんご自身が神戸新聞社に在籍していたからと思うが、どちらの作品もメディアの功罪について深い考察がある。ただ、「踊りつかれて」が扱うSNSは、いまだ「正しさ」の論拠が確立されていない世界だ。本作は前作の問題提起をさらに拡張している。

本作はまず、いわゆる「芸能人たたき」がもたらした悲劇的な結末と、そこにいたる顛末をとある人物の独白で説明する。バブル期の芸能界で一時代を築いた歌姫・奥田美月はスキャンダル報道で芸能活動を停止した。不倫報道をきっかけにSNSで誹謗中傷を受けた人気お笑い芸人・天童ショージは自死した。奥田についての嘘にまみれた記事を載せた週刊誌関係者や、SNSや動画サイトで天童を追い込んだネットユーザーはある日突然、窮地に追い込まれる。とあるブログが彼らの名前、住所、勤務先などをさらし、彼らの悪行を告発したのだ。かつての「加害者」が「被害者」に反転。「実行犯」の真意はどこにあるのか-。

1ページ目から続く「実行犯」の呪詛にも似た宣戦布告の切れ味に圧倒される。「よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども」「何が『奥さんがかわいそう』だ。おまえらに何の関係がある。その『かわいそうな』奥さんの心の叫びを代弁してやろうか? 『放っといてくれ!』だよ」「感想なんて言葉でごまかすんじゃねぇ。陰湿な悪口だ。それが証拠に匿名じゃないと都合が悪いだろ? 調べもしねぇ、興味もねぇ、つまり批評でもねぇ」「明日にはおまえたちの人生はめちゃくちゃになっている」

一つ一つの啖呵に快哉を叫びたくなる一方で、背筋が寒くなる。作品全体を覆う居心地の悪さこそ、本作の美点と言えよう。自分が被害者になるだけでなく、ふとした瞬間に加害者にもなる可能性を自覚させられる。エコーチェンバー、フィルターバブルの危険性が目の前に立ち上る。匿名で他人を糾弾する人物に与えられた「安全圏のスナイパー」という称号は、言葉の暴力性を改めて浮き彫りにする。塩田さんの怜悧な表現が冴える。

「存在のすべてを」との連続性で言えば、イギリスの作家サマセット・モームの「月と六ペンス」が「踊りつかれて」にも出てくる。引用された「義憤には必ず自己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間ならだれでもきまり悪さを感じるものだ」が、二つの小説の結節点のように感じられた。

(は)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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