入学してほどなく1年生が模擬店を出すイベントがあり、わがクラスはドーナツを手作りすることになったが、ドーナツを何に入れて客に渡せばよいか?その入れ物をどこで手に入れるのか?で、準備の話し合いは突きあたった。
すると、静岡市出身の同級生N子さんが「長野県に、セータイ屋さんはないの?」と発言した。僕たちは「整体とドーナツにどういう関係があるのか?」と、ぽかんとしたのを覚えている。「そうじゃなくて、セータイは『製袋』。小さな紙袋をまとめ売りしているところはないのかなあ」とN子さん。その時、原紙から袋を製造する「製袋」という仕事があること、袋の音読みがタイであることも、僕は初めて知った。そして「N子さんって耳慣れない、ずいぶん難しい言い方をするんだな」と思った。
大学時代には静岡県で働くことは想像していなかったのだが、アナウンサー試験で見事SBSだけ合格し、僕は1991年に静岡にやってきた。若手と呼ばれていた頃、JR東静岡駅がまだ開業していない曲金地区にユニークな店舗を見つけた。贈り物用の包み紙やリボン、あらゆるサイズの紙袋(!)など包装資材が取り揃えられている。そこは「牧野製袋」という会社が運営する、パッケージ関連商品を業者だけでなく、一般にも販売する大きな店だった。
数年前を思い出し確信した。N子さんは、この店を念頭に「製袋屋さんはないのか?」と尋ねていたに違いない。「製袋」は分厚い国語辞典にも載っていない業界用語的なものだが、静岡の街なかで育った彼女にとって「製袋屋さん」は難しい言葉ではなく、近隣で通じた普通の言い方だったのだろう。
N子さんが言い残した謎の言葉「ばっといてね」とは?

N子さんからは他にも静岡独特の言い方を教わった。ある日、大学の喫茶コーナーに行くと、彼女が椅子にバッグを置き「ばっといてね」と言って、その場を離れた。バッグとともに謎が残された。「ばっといて」って何だ? 僕は、荷物を盗られないように見張っててね、という意味かと考え、N子さんが戻って来たところで推理をぶつけると、「違うよ。後で来たみんなも座れないと困るじゃん。ん?『ばって』って静岡弁?」と、言った本人が自分で驚いていた。
N子さんは濃厚な静岡弁を喋る人ではなかった。「やっきりする」も「おぞい」も言わない。推量の語尾「ずら」も「ら」も使わなかった。だけど、時折、静岡独自の表現がこぼれ出る。それは、彼女自身、場所を確保しておくことを「ばっとく」と言うのが、まさか静岡弁だと思っていなかったからだ。ここに大事なポイントがある。「方言だと自覚されていない方言は、今なお使われる」のだ。これは当然のことで、方言だと気づいていないなら、そもそも共通語などに置き換えて表現しようと思わないので、そのまんま使い続ける。
静岡県民が無自覚な方言!?
ところが、この貴重な「気づかれていない方言」の一つだった「ばっとく」も、最近、周りの何十人かに聞き取りしたところ、静岡市で20代には継承されていない。「使わない」のではなく「知らない」という若者が多い。その親世代である40・50代から上の年齢層は「頻繁に使う」と、ほとんどが答えたのに不思議だ。「ばっとく」行為自体がマナー違反だと、次第に強く非難されるようになってきて、使われなくなったのだろうか?今の20代以下は子どもの頃から、スペースをいち早く占拠するような行動とは無縁だったのかもしれない。「ばった」は高草山を越えていない?
また、静岡県中部というくくりで共通の方言が多いのに、「ばっとく」は、どうやら静岡市よりも西では使われなかったことも分かってきた。高草山を越えていない。さらに「ばった」「ばって」と、動詞の連用形のように振る舞っているのに、その終止形として想定される「ばう」「ばつ」「ばる」を聞かない。なかなか特殊な方言と言えるだろう。高校放送部に指導する野路アナウンサー
文:野路毅彦