
(橋爪)きょうは長泉町の通称「クレマチスの丘」にあるベルナール・ビュフェ美術館の展覧会を取り上げます。現在、開館50周年記念展「ベルナール・ビュフェ 偉才の行方」が開かれています。フランス人画家ベルナール・ビュフェの1940年代から1990年代までの代表作77点を展示しています。山田さんはこの美術館に行ったことはありますか?
(山田)ありますよ。ベルナール・ビュフェ美術館でビュフェの展覧会ですか。
(橋爪)この美術館ではビュフェの油彩や版画、合わせて約2000点の作品を収蔵していて、「さまざまな切り口でビュフェの作品を見せる」というのが基本コンセプトになっています。今回の展覧会もその一環になります。
前回、映画館の話をしたときに静岡市葵区の静岡シネ・ギャラリーが12月に開館20年、浜松市中区のシネマイーラが開館15年を迎える、と言いましたが、今日の主役のベルナール・ビュフェ美術館は11月25日が開館記念日でした。1973年の開館ですから50歳!
(山田)あの場所に半世紀ですか。歴史がありますね。雰囲気も素敵ですよね。
(橋爪)足を運ぶと、少し非日常を感じられますよね。ビュフェの作品をこれだけコレクションしている美術館は世界中どこを探しても他にないと言われています。
まず、ビュフェとはどういう人物か、というところからお伝えします。
(山田)はい。教えてください。
(橋爪)1928年7月10日、パリ生まれ。第二次大戦後まもなくの1946年にサロンに初出品し、20代前半には世界各地の画廊で展覧会が開かれる人気画家としての地位を確立しています。
(山田)へえー。天才ですね。
高まる再評価の機運
(橋爪)1999年に亡くなっているんですが、この方の評価については、どんな画家もそういうものですが、時代によって上がったり下がったりしています。1950年代にピークの評価をされていたという言い方もされていますが、近年、再評価の機運が高まっています。2016年にパリで回顧展が行われ、2020〜21年には東京でも大きな展覧会が開かれました。そこにはベルナール・ビュフェ美術館からも作品が貸し出されていました。
(山田)改めて「ビュフェはすごいよね」と言われているということですね。
(橋爪)そういうことです。どこがいいのかを私が口にするのははばかられますが…。
(山田)まったく知らないのでぜひ教えてください。
(橋爪)抽象的ではなく、描くものの形がはっきりと観て分かる「具象画」の画家だと言われています。どんなモチーフを描いてもビュフェの作品だなという感じが見て取れます。そこは彼の特質だと思います。
(山田)手元にパンフレットがあっていくつか作品が載っているんですが、何か細かい線がすごく多い印象があります。
(橋爪)「スクラッチ線」という言い方をします。ビュフェの初期の作品で多く見られます。本人としては自分の味をそこに加えているのではないかと思います。画面に緊張感を与える上で効果的ですよね。
ただ、こうした線は、1950年代初頭に制作の拠点をパリから南フランスに移すと消えていきます。さらに、どんどん色彩が豊かになっていきます。
(山田)画風が変わっていった?
(橋爪)モチーフも広がりを見せます。それも面白いところです。おそらくさまざまな心境の変化などがあったんだと思います。スクラッチ線、灰色や栗色を多用した作品が中心だったりした頃は、世の中もそうだったでしょうし、本人の心のうちの不安や将来の見通しのなさのような部分が画風に出ていたんじゃないかと思います。
時期によって描き方が違うんですが、1960年代から70年代にかけてはチューブから画面に絵の具を塗り付けて絵肌を作る技法にも挑戦しています。これがすごく格好いいんです。
(山田)そうなんですか。
(橋爪)あまり世間では評価されてないんですけどね。あの絵肌は美術館に行って観ないと分からないので、ぜひ足を運んでほしいなと思います。
パンフレットや画集にあるような本格的な解説は学芸員さんに譲るとして、今日は私なりに面白いと思った部分をお話します。
(山田)はい、お願いします。
お薦めの鑑賞法は「ビュフェを探せ!」
(橋爪)まず、「ビュフェを探せ」というキーワードを持ち出すと面白いです。常設展示コーナーに写真があるんですが、めちゃくちゃカッコいいです。30代ぐらいまでは、ハリウッドスターに例えるならキアヌ・リーヴスっぽい。細面で鼻筋が通っていて、目と眉もきりっとしていて。(山田)イケメンなんですね。
(橋爪)たぶん本人も自分の顔が好きだったと思うんですよ。この展覧会にも「自画像」と題した作品がいくつもあるんですが、自画像とタイトルを付けてない作品にも「これも自分の顔を描いたんじゃないか?」と思えるものが結構あるんです。
(山田)だから「ビュフェを探せ」なんだ!
(橋爪)そうです。例えば1961年の「ピエロの顔」という作品がありますが、真っ赤な背景にシルクハットをかぶった道化師がじっとこっちを見ています。本人は明言していないですが、どう見ても自画像に思えます。
1988年の「ドン・キホーテ、鳥と洞穴」という作品も、私にはドン・キホーテがビュフェ本人に見えます。
ぜひ展覧会の中でビュフェを探してみてください。それともう一つ。
(山田)どうぞ。
(橋爪)サインに注目してみてください。ビュフェは画面上にすごく大きくサインをかくことでも知られています。ほとんど絵の一部になっていて、ど真ん中に書いていることさえあります。
(山田)なんでなんですかね?
(橋爪)さきほどの自画像の話と合わせて考えると、彼はある種の変身願望が強かったんではないかと思うんです。画家である自分は変えられないんだけど、「ホントはこうありたい」「外形を変えたら自分も変われるだろうか」という願いをピエロやドン・キホーテ−に託しているのではないかと思えてなりません。
(山田)そういう解釈で観るのも面白そうですね。
(橋爪)考えを飛躍させると、いまでいう「コスプレ」的な嗜好を絵で表現しているような気がするんですよね。
(山田)なるほど。
(橋爪)このような感じで、美術館では「ここを見なきゃ」とか「こういう解説を読まなきゃ」などということに一切捉われることなく、作家の気持ちになりきって自由に鑑賞すればいいのだと思います。
(山田)そうですね。
最後の1枚に潜む「葛藤」と「誠実」

(橋爪)最後にもう一つ。展覧会の最後のコーナーに「ベルネイ」という作品があるんですが、これだけがまったく違う作風なんです。1975年の作品で、フランス北部の川辺の森と民家を描いているんですが、空は青いし、雲は白いし、木々の緑の濃淡がとてもきれい。19 世紀の風景画家が描いたような、素朴な田舎の風景をそのまま写し取ったような作品です。
結局、ビュフェという人は、描こうと思えば、簡単にこういう作品も描けてしまう天才で、技術もすごく高い。それでも、世間に「ビュフェといったら太い線だよね」「背景はけっこう濁っているよね」「人の顔や風景を書くとしたらこんな感じだよね」というイメージがあったので、そこを曲げてはいけないという気持ちがあったのだと思います。
(山田)最後の絵からは画家としての葛藤を感じるということですか。
(橋爪)葛藤でもあるし、それが彼の誠実さなのかなと。最後の1枚を観て思いました。
(山田)行きたくなりました!展覧会はいつまで開催しているんですか。
(橋爪)来年の11月までやってます。
(山田)1年間やってるそうです。ぜひ皆さん見に行ってみてください。面白そうです。今日の勉強はこれでおしまい!