
こんにちは、編集局紙面編集部の遠藤竜哉です。
中部横断自動車道が静岡ー山梨間で全線開通して、まもなく2年ですね。静岡市から長野県松本市まで3時間たらずで行くことができるようになりました。
さて松本では、今夏も「あの音楽祭」が開催されます。
指揮者の小澤征爾さんが総監督を務める「セイジ・オザワ松本フェスティバル」。2015年に改称するまで、長らく小澤さんの師・故斎藤秀雄の名を冠した「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」と呼ばれていました。こちらの名称に馴染みがあるというファンも多いでしょう。昨年30周年を迎え、地方都市で開かれる音楽祭の「金字塔」と言っても過言ではありません。
今回は、小澤征爾さんに関する個人的な思い出を書いてみたいと思います。

浜松で小澤さんに突撃したあの日
20年以上前のことですが、最初に小澤さんと言葉を交わしたのは、JR浜松駅の新幹線ホームでした。あるオーケストラの公演が浜松であり、終演後、出演者は東京にとんぼ返りの模様でした。ホームでは、楽団員一行と、少し離れた場所で小澤さんも新幹線を待っていました。
まだ中学生だった私は、ホームで居合わせた周囲の大人に「(サインをもらいに)行ってくれば?」と冗談混じりに背中を押され、突撃。
小澤さんは「きょう聴きにきたの?」と気さくに応じてくださり、プログラムに署名してくれました。新幹線にはオケの楽団員がたくさん乗っていて、恐る恐る話しかけると、とても優しく応じてくれました。
単純ですが、それ以来、私はすっかり小澤さんのファンです。

小澤さんがロゼシアターで富士山を眺めたあの日
2009年。今度は小澤さんが富士市のロゼシアターに新日本フィルと来演した際、すこーしだけお目にかかる機会がありました。新聞記者になったとはいえ、まだ本格的に取材デビューする前だった私は、新聞の告知記事を見て、現地の支局長に懇願。支局員である先輩記者の取材に同行させてもらうことになりました。一般向けの演奏会の前に、生徒や学生向けにゲネプロ(通し稽古)を公開するという企画で、ホール後方のいわゆる「親子室」から写真を撮りました。
先輩記者は、何やら携帯電話で連絡を受けて、とても忙しそう。「警察回りの時間だから、写真は頼んだ!」と言って、出て行きました。オケが休憩に入り、ホールの外で一息ついていると、小澤さんが「富士山が見える」とうれしそうにやってきました。私は小澤さんの横で「よかったですね!よく見えますね!」と言っただけでした。
当時、この企画を紹介したロゼシアターの情報誌がネット上で公開されています。

先輩記者はゲネプロが終わる頃にしっかり会場へ戻ってきて、生徒や学生たちに取材を始めました。先輩の動きやインタビューの様子を見て、忙しい中でもこうやってやりくりしながら取材するんだなと、学びました。
小澤さんが体調を崩されてからは、コンサートを聞く機会がめっきり減ってしまいましたが、今も私たちは多くの素晴らしい演奏を録音で聴くことができます。
小澤さんのマーラー「復活」
自分の人生に大きな影響を与えてくれた愛聴盤があります。小澤さんがサイトウ・キネン・オーケストラを指揮して2000年に東京文化会館で録音したマーラー作曲の交響曲第2番「復活」です。小澤さんの十八番であるだけでなく、オケの機能性が抜群。私はマーラーの音楽を当盤で初めて聴き、あまりのかっこよさにびっくり。オーケストラ音楽の魅力にのめり込みました。
大編成のオケに合唱、独唱2人、パイプオルガンも必要なマーラー屈指の大曲ですが、学生オケ時代にトロンボーン奏者として演奏機会に恵まれ、一生ものの経験となりました。

(ソニー・ミュージック 2000年)
昨年のセイジ・オザワ松本フェスティバルでは、幸運にも1枚チケットを入手することができ、中部横断自動車道を使って松本まで出かけました。
体感として、松本はだいぶ近い場所になりました。演奏会では、車椅子の小澤さんがサプライズで舞台上に登場し、会場は感動的な雰囲気に包まれました。
今年のフェスティバルは8月19日〜9月6日に開催されます。公式サイトによると、オーケストラ演奏会を松本城などで生中継するスクリーン・コンサートも開催予定とのこと。チケットが取れずとも、おいしい蕎麦でも目当てに松本まで足を伸ばしてみようかと考えている昨今です。