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【スポーツと平和】戦争がなければ、サッカー日本代表はもっと早くW杯に出場していたかも?

静岡トピックスを勉強する時間「3時のドリル」。今回のテーマは「スポーツと平和」です。先生役は静岡新聞運動部専任部長の寺田拓馬です。
※SBSラジオ・ゴゴボラケのコーナー「3時のドリル」で放送したものを編集しています。

戦没オリンピアンの松永さん「日本サッカーはショートパスを磨くべきだ」


(寺田)
ちょっと古い記事になりますが、私の同僚記者が丹念に2人の戦没オリンピアンを追いかけた『悲しみのオリンピアン 戦場に散った県勢』という静岡新聞の連載(2019年8月7日〜8月15日掲載)を紹介します。

オリンピアンの1人は沼津市出身の新井茂雄さん(1916年生まれ)。第二次世界大戦前の1936年ベルリン大会、競泳800メートルリレーで金メダルを取った選手です。100メートル自由形でも銅メダルを取っています。とても有望な選手でしたが、その8年後、ビルマ(現ミャンマー)で戦死しました。

戦没オリンピアンに関する調査や研究はなく、同僚記者が自分で多くの関係者に聞き取りをしました。新井さんがどういうふうに亡くなったのかは分からなかったのですが、取材を続ける中で群馬県の陸上自衛隊の駐屯地で昔の卒業名簿が見つかり、新井さんが「独立速射砲第1大隊」にいたことがわかりました。

速射砲部隊というのは、最初に砲撃をするので狙い撃ちされ、攻撃すればするほど集中砲火を浴びてしまうんですね。新井さんはオリンピック選手ですから、体力も頭脳も精神力も持っていた。だからこそ、そういう厳しい任務を担ったのではないか。そんな過去をお持ちでした。

もう1人は、サッカー日本代表だった松永行(あきら)さん=1914年生まれ=。焼津市出身で、当時の藤枝東高から筑波大に進学し日本代表になりました。ベルリン五輪の初戦、日本がスウェーデンを破って大金星を挙げたという試合で決勝ゴールを挙げたのが松永さんでした。松永さんはその約7年後、ソロモン諸島のガダルカナル島で戦死しました。

同僚記者が日本サッカー協会の関係者らの取材を進めたところ、当時から松永さんは「日本はショートパスを磨くべきだ」ということを主張されていたということでした。「戦争がなければ、日本のサッカー史はずいぶん変わっていただろう」との関係者のコメントがあります。日本代表はワールドカップ初出場まで時間がかかりましたが、戦争がなければもっと早く出場できたかもしれない、ということですね。

(山田)
ちょっと衝撃ですね。松永さんのような方々が、生きてスポーツを続けてくれていたら、今の日本のスポーツは変わっていたと。

寺田専任部長「平和の尊さをかみしめながらスポーツを」

(寺田)

少し補足しますと、松永さんが亡くなられたガダルカナル島の戦いは日本が劣勢となる分岐点の一つになったとされています。大変過酷な環境で、食料も救援物資も届かない、マラリアも蔓延。ここで2万人以上の日本人が亡くなられたという歴史があります。

スポーツをするにも平和であることが前提です。コロナ禍では、スポーツができることは当たり前じゃなかったですよね。やっぱり平和でなければ、スポーツってできない。ロシアによるウクライナ侵攻など、世界各地で紛争が起きています。

来年はパリ五輪が開かれます。これからさまざまな競技の世界選手権などが開かれ、五輪代表選手が決まっていきます。オリンピック関連の記事がだんだん増えていくと思いますが、その前提にある平和の尊さをかみしめていただきたいと思います。

(山田)
今回はなぜ、スポーツと平和をテーマにしたのですか。

(寺田)
実は、この連載を執筆した薮崎拓也記者が先日急逝しました。私とは高校の同級生で、前日の夜まで一緒に働いていたのですが、自宅に戻って寝ている間に亡くなったとご家族からうかがいました。彼は本当に優秀で、丹念に関係者を追いかけて真実に迫る記者でした。彼の足跡を少し紹介させていただきたいなという思いもあり、取り上げさせていただきました。

(山田)
薮崎さんの残した連載を通して、あらためてオリンピックと平和の関係を再確認していただけたらと思います。

 
シズサカ シズサカ

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