
(寺田)サッカー王国の復権を目指し、県内で小学生年代の強化に力を入れる動きが広がっています。支部をまたいだ合同トレセンや、県内トップチームを集めた「Sリーグ」などを創設する一方、大人の意識改革も進めています。
(山田)「俺たちはサッカー王国だ」って胸を張ることができたのはいつぞや、という感じです。
(寺田)静岡サッカー史を紐解いてみると、どこがピークだったか。物差しはいろいろありますが、県勢がワールドカップに何人ぐらい出ていたかを紹介します。
日本が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会。この時に静岡県出身の選手は10人出ていました。
清水商業高出身の川口能活さん、小野伸二さん、名波浩さん、平野孝さん。清水東高出身の相馬直樹さん、斉藤俊秀さん。藤枝東高出身の中山雅史さん。東海大第一高出身の服部年宏さん、森島寛晃さん、伊東輝悦さん。
日本代表チームでは「静岡弁が標準語だった」って言われた時代があったんですよ(笑)。日本サッカーが本当に盛り上がっていた頃です。
(山田)「だら〜」とか普通に言えたわけですね(笑)。そこからどうなったか。
(寺田)次の2002年日韓大会は清水エスパルスとジュビロ磐田の選手を含めれば、11人出ていました。その後だんだん減り、ドイツ大会は5人、南アフリカ大会は6人、ブラジル大会は3人、ロシアとカタールの両大会は2人ずつ。
カタール大会では、静岡県出身選手としては磐田ユース出身の伊藤洋輝選手1人だけでした。ロシア大会までキャプテンをやっていた藤枝東高出身の長谷部誠選手が日本代表を退いてからは、急に寂しくなってしまった印象です。
(山田)高校サッカーはどうですか。
(寺田)Jリーグが始まり全国に指導のメソッドが広がって、他県のレベルが上がってきました。静岡が弱くなったわけではなく、相対的に静岡の存在感が薄くなってしまいました。
(山田)それで小学生のサッカーの強化に力を入れているということですか。
(寺田)静岡市の支部と清水の支部が、小学生年代の優秀な選手たちを集めて練習会をやったり、大会に出たりするセントラルトレセンを始めました。もちろん県全体のトレセンはあるのですが、支部をまたいだ取り組みは県内で初めてということです。
清水エスパルスが全面的に協力していて、エスパルスの中学生年代のコーチが指導して、練習場も無料で提供しています。
(山田)小学生からしたら、とても特別なこと。嬉しいですよね。
(寺田)エスパルスの関係者は「我々は元々市民球団なんだ」と。こういう中で地域の子供たちを育て、いずれは自分たちのユースチーム、トップチームに育つ選手が出てほしいと期待してるんですね。
Sリーグの創設と、大人の意識改革
(山田)小学生年代の最高峰リーグもできたとか。(寺田)今年から本格的にSリーグという大会が始まりました。静岡県内には小学生チームが330ぐらいあるそうなんですが、いずれはその頂点を決める大会にと。
S1、S2のカテゴリーがあって、Jリーグのように入れ替えもあります。小学生が憧れる、目標とするリーグにしようとスタートしたところなんです。
(山田)小学生のサッカー、本当に力を入れ始めたっていう感じがしますね。大人の意識改革にも取り組んでいるんですか。
(寺田)一つは指導者の育成という部分です。静岡市のセントラルトレセンは、市内の指導者に限って誰でも見学できます。プロの指導法を学べるんですよ。プロの指導法を見て、それぞれのチームに持ち帰って取り入れることができます
もう一つ。Sリーグでは「マッチ・ウェルフェアオフィサー」を各試合につけることになっています。「ウェルフェア」という言葉は、幸せとか快適な生活とかを意味します。審判とは別に、試合ごとに監督やコーチ、保護者たちの声掛けが適切かどうかっていうのを見るんです。
懲罰を与えるってことではなく、気づきを与える。子供が前向きになるような声掛けができてますかということを見て、試合後に助言をしたりするんですね。
(山田)子供たちの成長を促すために、そういう声掛けじゃ駄目でしょと。
(寺田)指導者も保護者も熱くなっちゃう方がいらっしゃるんですよね。幼稚園のサッカーで、興奮したお父さんが「足をかれ、足をかれ」ってピッチに向かって言ったりするのを見たことがあります。
(山田)そうなっちゃうんですよね。どうしても大人は勝敗とか自分の子供の活躍ってとこに目がいっちゃう。
(寺田)フェアプレー精神を根づかせるには、保護者の声掛けが大事になるんですね。
(山田)学校の部活動も変わり始めています。とても良い取り組みだと思います。今日の勉強はこれでおしまい!