【わたしを変えた井上靖のことば】直木賞作家・万城目学さんは準静岡県勢!? サッカー日本代表の岡田武史元監督はW杯で井上靖の詩を選手に伝えていた!

静岡トピックスを勉強する時間「3時のドリル」。今回のテーマは「わたしを変えた井上靖のことば」。先生役は静岡新聞の橋爪充教育文化部長が務めます。 (SBSラジオ・ゴゴボラケのコーナー「3時のドリル」2024年1月24日放送)

(橋爪)今日は長泉町井上靖文学館で3月12日まで開かれている開館50周年記念の企画展「わたしを変えた井上靖のことば」をご紹介します。先日直木賞に選ばれた小説家万城目学さんやサッカー日本代表の元監督岡田武史さん、世界的指揮者の小澤征爾さんら多彩なジャンルの著名人14人による井上靖と自分の関係を記した生原稿が展示されています。

(山田)今日は井上靖ですか。

(橋爪)まずは前回に引き続きで恐縮なんですが、直木賞の話から始めたいと思います。

(山田)直木賞の受賞作、見事に予想を当てましたもんね。

(橋爪)改めて受賞作をおさらいしておくと、河﨑秋子さんの「ともぐい」。これは「熊小説」ですね。そしてもう1冊。万城目学さんの「八月の御所グラウンド」も選ばれました。今日はこの万城目さんの話を中心に進めます。

(山田)自分が直木賞の予想を当てたという自慢話じゃないんだ(笑)

(橋爪)「八月の御所グラウンド」は短篇と中篇の2話仕立てです。どちらも京都市が舞台で「十二月の都大路上下(カケ)ル」という短篇は駅伝の話で、表題作は草野球の話です。
先週の放送で候補6作の話をする際に「残念ながら、今回は静岡関係の候補者がいらっしゃいません」と言ってしまいました。

(山田)だから必死で作品の中から静岡との接点を探しましたよね。

(橋爪)そうしたら、番組を聴いた方から「万城目さんは静岡に関わりがありますよ」と情報提供がありました。連絡をくれたのは長泉町井上靖文学館の学芸員・徳山加陽さんです。どういうことかと話を聞いたら、冒頭でお伝えした企画展「わたしを変えた井上靖のことば」に万城目さん直筆の原稿用紙が出品されているということでした。

万城目さんは小説家としてデビューする前、社会人時代に生涯2本目の作品を書き上げたそうです。それが奈良時代の仏師の物語で、作品の手本にしたのが同じ奈良時代を舞台にした井上靖の「天平の甍」だったんです。

万城目さんは、後にこの作品を歴史系の新人賞に応募して、最終選考に残ったと言うんです。このエピソードは井上靖文学館に展示されている生原稿の中に書かれているので、ぜひ見に行っていただきたいと思います。

(山田)万城目さんも井上靖の作品で人生が変わったということですか。

(橋爪)井上靖の作品は相当好きなようで、別のエッセイでも文体について言及しています。ただ、万城目さん自身のデビュー作は青春系の「鴨川ホルモー」です。

(山田)これはすごく売れましたよね。

井上靖を参考に歴史小説を執筆。静岡県内で就職した過去も!


(橋爪)万城目さんに歴史小説家というイメージはないのですが、「鴨川ホルモー」で応募した新人賞と、奈良時代の仏師の話で応募した新人賞の選考は同時並行的に進み、歴史小説の方は賞を取れなかった。ここに万城目さんの人生の分岐点があったとおっしゃっています。もしこの結果が逆だったら、今の自分の作風は歴史系の方になっていたかもしれないと。

井上靖さんといえば、伊豆の湯ヶ島で育って旧制沼津中(現沼津東高)を出た、本県ゆかりの作家ですね。その作家に影響を受けたというのが万城目さんと静岡県との繋がりの一つ。私は先日の静岡新聞のコラムで、万城目さんのことを「準県勢」と認定しました(笑)。

(山田)井上靖の影響を受けたから準県勢だと。

(橋爪)準県勢と言ったのは、ほかにも濃い繋がりがあったからです。これも井上文学館の徳山さんに教わったんですが、万城目さんは週刊文春で「万城目学の人生論ノート」という連載コラムを担当していました。それを読み返すと、「生まれ育った関西の地を離れ、やってきたのは静岡だった」と書いてありました。京都大を卒業後、就職したのが静岡県内の化学繊維メーカーだったんです!

(山田)えっ、静岡県内で働いていたんですか!

(橋爪)退職するまでの2年3カ月、ずっと静岡にいたようです。

(山田)もうこれ「静岡県勢」じゃないですか。「準」を外してもいいぐらい。

(橋爪)静岡とかなり深い関わりがあることが分かりました。情報を寄せてくださった徳山さんに感謝しつつ、万城目さんに対する親しみが一層増したという感覚があります。

前回お話ししました「八月の御所グラウンド」に出てくる、1934年11月20日、沢村栄治とベーブ・ルースが対決した静岡市の草薙球場での日米野球の描写は、ご自身が静岡に住んでいたからこそ浮かんだ、という妄想すら浮かんできます。

(山田)何らかのゆかりを探しながら本を読むというのも面白そうですね。

(橋爪)ちなみに万城目さんは昨年11月18日に、長泉町で開かれた井上靖文学館主催の講演会で登壇しています。徳山さんによると、県内でお勤めだったころの同僚や先輩も数多くいらしていたそうです。私は見逃しました。後悔しきりです。

ということで、井上靖文学館の企画展の話に戻りますと、「わたしを変えた」というタイトル通り、人生の分岐点において井上靖からどのような影響を受けたかということを、さまざまな分野の著名人が原稿にしています。その中で一番びっくりしたのが岡田武史さんです。

(山田)サッカー日本代表元監督の「岡ちゃん」ですね。

井上靖の詩で、選手の緊張ほぐす


(橋爪)岡田さんと井上靖ってなかなか結びつかないと思うんですけど、岡田さんの原稿用紙も飾られています。井上靖の詩集「北国」に入っている「人生」を取り上げ、その一部を自筆で書いていています。それを抜粋しますね。
 「しかるに人間生活の歴史は僅か五千年、日本民族の歴史は三千年足らず、人生は五十年といふ。父は生まれて四十年、そしておまへは十三年にみたぬと。私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤(つぐ)んだ。」

これに対して岡田さんは別の原稿用紙に「体が震える程の感動がありました」と所感を書いています。その後に驚きのエピソードがつづられています。

岡田さんと言えば、1998年にサッカー日本代表が初めてワールドカップに出場したときの監督です。初戦はアルゼンチン戦でした。その試合の前のミーティングで、この詩のことを話したというんです!

(山田)へぇー、井上靖の詩を。

(橋爪)選手たちはすごく緊張している。国民の期待を背負っている。それを和らげたいと思ったときに、頭に浮かんだのがこの井上靖の詩だったというんです。詩になぞらえて「ワールドカップという大舞台だけれど、たった90分じゃないか。だから、今持っている力を全て出そう」というメッセージだったそうです。

(山田)なるほど。すごいですね。

(橋爪)よく頭に浮かぶなと思いました。

(山田)さすが名監督。

(橋爪)こんなところにも名監督たる所以が見えてくるのかなという気がします。この試合、日本は0対1で敗れましたが、今もなお語り継がれています。岡田さんの人生でおそらくは大きな意味を持っただろう瞬間に井上靖がいた、というのは個人的にぐっときました。

(山田)井上靖文学館に行くと、実際にその原稿を見ることができるんですね。

(橋爪)はい。こういう文学の捉え方というのは珍しいのではないかと思いました。

(山田)今日も興味深いお話ありがとうございました。今日の勉強はこれでおしまい!

SBSラジオで月〜木曜日、13:00〜16:00で生放送中。「静岡生まれ・静岡育ち・静岡在住」生粋の静岡人・山田門努があなたに“新しい午後の夜明け=ゴゴボラケ”をお届けします。“今知っておくべき静岡トピックス”を学ぶコーナー「3時のドリル」は毎回午後3時から。番組公式X(旧Twitter)もチェック!

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