
高柳神社の境内にある石上清兵衛の胸像。(高柳神社:藤枝市高柳3-26-22)
時は元禄4年(1691年)。高柳の地は田中藩が治めるも、財政は苦しく、年貢の取り立てが大変厳しいものだった。2、3年米が不作続きで農民の生活が困窮する中、立ち上がったのが若干25歳の石上清兵衛。自ら田中城主に直訴し、年貢の減免を申し立てたのだ。
収穫した米の半分を納めなければならない『五公五民』を課せられていた時代。清兵衛が求めたのは、1石(150㎏)に対して4升(6㎏)のわずか4%の減免であったにも関わらず、申し立てを聞いた代官が出した条件は、〝首と引き換えに、減免を了承すること〟。
元より死を覚悟していた清兵衛は、代官の脅しに動じることなく、元禄5年の3月に茶屋河原の刑場で処刑され、亡くなった。自らの命を犠牲にしてまでも、飢餓に苦しむ人々を救おうと行動した清兵衛。その死を嘆き悲しんだ農民たちは、ひそかに亡骸を手厚く葬ったそうだ。

江戸時代につくられた清兵衛の石像が祀られている日切地蔵堂。
没後330年となる令和4年には高柳神社に石上清兵衛の胸像を建立。近年では小学校に出向いて、紙芝居で清兵衛の活躍を伝える取り組みも行っているという。「今の私たちがいるのは清兵衛さんのおかげ。郷土の誇りとして、清兵衛さんの遺徳や想いを継承し、人のために良いことをする大切さを伝えていきたい」と顕彰会の岡村さん。
高洲地区では小学校の道徳で清兵衛の生き方について考える授業が行われたり、中学校の奉仕活動を『T(高洲)・C(中学校)・S(清兵衛)ボランティア活動』と命名したりと、学校教育の場でも石上清兵衛の功績が伝えられている。一人の若者が命をかけた行動は、300年以上たった今も着実に受け継がれ、地域の人々の指針となり、心に刻まれ続けているのだ。
取材協力:石上清兵衛顕彰会
公園で遊ぼう!in 藤枝駅周辺
田沼南公園

藤枝駅南口から徒歩約11分。住宅街の中にある緑あふれる公園。ブランコや、滑り台がついた小型の複合遊具があり、小さな子ども連れでも楽しめます。運動広場もありますよ。
藤枝市田沼4-22-33 [敷地面積]3,000㎡
駅南公園

藤枝駅南口から徒歩約6分。芝生の多目的広場、ロープスライダーや様々な健康遊具があります。市の花である〝藤〟をイメージした噴水がシンボルになっています。
藤枝市田沼1-22 [敷地面積]15,400㎡
駅西公園

藤枝駅北口から徒歩約5分。藤枝市民体育館・武道館近くにある公園です。複合遊具、ブランコがあります。木々に囲まれ、秋はドングリ拾いも楽しめるそう。
藤枝市駅前3-12-1 [敷地面積]3,982㎡
駅前公園

藤枝駅北口より徒歩約7分。周囲に木々が茂り、春は花壇の花々が咲き誇る自然豊かな公園。遊具のほかにも、芝生のグラウンドや藤棚のベンチ、日時計などがあります。
藤枝市駅前2-15-1 [敷地面積]2,500㎡