「あんたの代のサッカー部は誰だね?」突然の閉店も…“おばちゃん”は健在 歴代藤枝東高生が通い詰めた「森パン」はいま

2025年1月2日、静岡県立藤枝東高校前。
「森パン」と呼ばれる、森本商店のシャッターが4が月ぶりに開いた。
この日は毎年、正月恒例の東高サッカー部の初蹴りの日。

「おばちゃん、いるじゃん」

2024年秋の突然の閉店を気にかけていたサッカー部OBたちが次々に顔を出し、久しぶりに姿を見せた”おばちゃん”こと森本陽子さん(92)の元気そうな姿に安堵した。
(ここからは卒業生に馴染みのある”森パン”、”おばちゃん”と記させてもらう)

長年、森パンを切り盛りしていたおばちゃんが2024年秋に自宅でけがをし、病院に運ばれた。

東高とともに歩んできた店は、急きょ閉店した。
手術と4か月に及ぶリハビリ入院を経て、年末に退院、自宅に戻ったおばちゃん。なんとか初蹴りには間に合うことができた。

「店はやめちゃったけど、シャッターを開けてれば、初蹴りには、みんな顔出してくれるんじゃないかな」

店にあった駄菓子も商品棚も、アイスやジュースのショーケースも撤去され、テーブルと椅子だけが残った店内で、おばちゃんはその言葉のまま、例年通りOBたちを迎えた。

もはや”校内の一部”

森本商店は、創立100年を迎えた藤枝東高の正門前にある。
おばちゃんの父親が店を始め、開校時から、生徒たちの学用品の販売を一手に引き受けていたという。そのうち、お腹を空かせた育ち盛りの生徒たちのため、パンを販売するようになり、生徒たちが学校帰りに立ち寄っていった。

森本商店が「森パン」と呼ばれるようになったのは、おばちゃんによると、サッカー部員だった橋本忠広さん(1954年卒・元静岡県体育協会理事・元静岡県サッカー協会副会長)が「言い出しっぺ」だったという。

「あの頃は、部活の後輩が先輩の使いっ走りをしていた時代。『おい、森本さんに行ってパンを買って来い、森本のパン、えーい、森パンだあ!』って、そこから森パンと呼ばれるようになっただよ(笑)」

東高生にとっては、もはや”校内の一部”のような存在だった森パン。立ち寄るのは、在校生だけではない。卒業生も頻繁にふらっと立ち寄り、おばちゃんとおしゃべりし、「情報交換」していく。

そして、自然と「サッカー部のことは森パンに聞けばなんでもわかる」存在となっていった。おばちゃんは常に店にいて、グラウンドに練習を見にいったり、試合の応援に行ったりしないのに、である。

スマートフォンがなかった昭和の時代、サッカー部の試合結果が知りたい人は、森パンに尋ねた。試合を見に行ったOBや保護者が、試合結果はもちろん、途中経過も公衆電話から森パンに「速報」を入れていたからだ。

また、卒業生におばちゃんがまず尋ねるのは、

「あんたの代のサッカー部は誰だね?」

おばちゃんの“脳内コンピューター”は、サッカー部と紐付けられていて、卒業年ではなく、同じ学年のサッカー部員の名前が検索キーワードになり、瞬時にヒット。「おばちゃんオリジナル検索システム」だ。

立ち寄った卒業生がおしゃべりしていった話が、サッカー部員の名前とともに、頭の中に蓄積されされていく。それは「ゴミ箱」に入れられることはない。誰もが驚くおばちゃんの記憶力は90を過ぎても変わらず健在だ。

「初めて全国優勝した時の山口(芳忠)さん、桑原のお兄ちゃん(勝義さん)、菊さん(菊川凱夫さん)、三冠王の時は松永章さんに井沢千秋さんに…」

おばちゃんの口からは、昭和の藤枝東黄金期の往年の名選手の名前が、次から次へと出てくる。そして、話は昭和の終わりから平成へ。中山雅史さん、山田暢久さん、佐賀一平さんに河村優さん、長谷部誠さん…彼らの高校時代や卒業後がつい最近のことのように語られる。

おばちゃんに「今までで1番の思い出は何か?」と聞いてみた。

「そりゃ、三冠王(1966年度)の時はすごかったよ。白子の商店街から正門まで、ズラ〜っと人でいっぱい。みんな旗を振って。本当にすごかった。あの光景、もう一回見たいやぁ」

「私の父が亡くなった時はね、出棺の時に、サッカー部が全員整列して見送ってくれてね。本当にありがたかった。幸せもんだよ、森パンは」

「河井(陽介 現:カターレ富山)たちの代が準優勝した時にはね、保護者がサッカー部のメンバーのサインが入ったサッカーボール手まりをプレゼントしてくれてね、『森本さん、ありがとうございました』って言ってもらえてね。うれしかったよぉ」

絞りきれない「1番」の思い出が時代絵巻のように語られる。

歴代サッカー部員にとって、森パンはハードな練習の後、毎日立ち寄っては腹を満たし、仲間と笑い語り合う場だった。そして、卒業後もふらっと立ち寄るという。

「あって当たり前、なければ困る存在」

毎年初蹴りの朝、一番最初に顔を出すのは、1984年度全国高校サッカー選手権大会3位の時のキャプテン、植田光紀さん。今年も一番乗りでやって来た。そして、中山雅史さん(現:アスルクラロ沼津監督)や当時のチームメイト、後輩たち、そして恩師の鎌田昌治さんも顔を出した。

高校時代はもちろん、卒業後も年に1度、正月の初蹴りには必ず立ち寄っているという中山さん。

Q.森パンの思い出は?
「漫画を読んでいたり、森パンのおばちゃんとOBのことやこれまでのサッカー部の歴史の話をしたことが思い出です」

Q.閉店は知っていたか?
「昨年の秋口にサッカー部の先輩から聞きました。僕らの当たり前になってくれていたので、『え!閉めちゃうの⁉』という驚きがあったと同時に、森パンをずっと開けてくれていたことに感謝の想いが生まれた心境でした」

Q.高校時代によく買っていたものは?
「レモネード飲んでいました。ねじってある“あられ”みたいな、ちびっこ横綱をよく食べていました」

Q.中山さんにとって森パンはどんな存在か?
「空気のような存在。あって当たり前、でも、なければ困る存在」

Q.おばちゃんへ
「おばちゃんの顔を見ると安心する自分がいるので、いつまでも元気でいてもらいたいです。そしてお店はやっていないのかもしれませんが、藤枝東のすぐそばで存在を放ってもらいたいです」

続いて、2024シーズンで現役引退した元ジュビロ磐田の山田大記さん(2007年卒)もやってきた。

Q.高校時代、森パンへはどれくらい行っていたか?
「部活帰りに週に 1.2 回は行っていたと思います。 下級生の時はサッカー部の先輩などもいるので行きづらかったのですが、3年生の時は頻繁に行っていました」

Q.卒業してからも立ち寄ることがあったか?
「藤枝に行った際には立ち寄っていました。年に1、2回だと思います。いつ行ってもおばちゃんが温かく迎えてくれてうれしかったです。プロになり、食事には気を遣っていると話をしているのに、帰りにスナック菓子やジュースを無理やり持たせてくれました(笑)」

Q.森パンでの思い出は?
「冬に部活帰りに寄って、ストーブの上で温めてあるお湯でブタメンを食べていたのが一番印象に残っています。ただ、森パンにはいつも何かを買いに(食べに)行くのではなく、おばちゃんに話に行くという感覚でした。みんなサッカーや恋愛の悩みを打ち明けていました。

試合に出れない、勝てないなどと口にすると、おばちゃんは藤枝東高校の歴史を知り尽くしているので 『パッとしないと言われていた学年が全国で結果を残した』とか『下級生の時はなかなか試合に出れなかったけど、3年生の最後に活躍したOBがいたよ』などと、いろんなOBの話を持ち出して、僕たちを励ましてくれました。

そんなやさしく穏やかなおばちゃんですが、曲がったことは嫌いで、誰かの悪口や愚痴を口にすると『あんた、そんなぐちぐち言ってるとみっともないよ』とか『そんな愚痴を言ってても何も変わらないよ。悔しいなら練習しな』と発破をかけてくれました。

また、僕は県⻄部の出身だったので、藤枝東の歴史や伝統について、おばちゃんからいろいろと教えてもらいました。特に藤枝東の歴史や伝統について喋り出すと止まらず、なかなか帰れなかったのですが、それも良い思い出です」

Q.山田さんにとって森パンはどんな存在だったか?
「僕は親元を離れて寮生活をしていたので、寮としてお世話になっていたシルビアと森パンが、心安らぐ居場所でした」

Q.森パンのおばちゃんへ
「⻑い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。まだまだ元気でいてください。また会えるのを楽しみにしてます」

もちろん、サッカー部以外にも常連だった生徒はたくさんいる。

「みんなが立ち寄れる、サロンのようになれば」

高校時代、バレーボール部だった俳優の別所哲也さん(1984年卒)もそのひとり。部活の仲間とほぼ毎日のように通っていたという。

Q.卒業後も立ち寄ることがあったか?
「折にふれて森パンの『お母さん』に会いに行っていました」

Q.森パンの思い出は?
「先輩の買い出しに行った時、かけてもらった『がんばってね』というやさしい言葉が忘れられません」

Q.閉店は知っていたか?
「部活の先輩から聞きました。とても残念で、寂しく思いました」

Q.別所さんにとって森パンはどんな存在だったか?
「自分たちの青春の拠り所でした。バレー部だけでなく、東高の生徒たちみんなの心の拠り所だったと思います」

Q,おばちゃんへ
「本当に長い間ありがとうございます。心から感謝しています」

またこんなエピソードもある。

ある日、藤枝東高OBでロックバンド「スピッツ」のベース・田村明浩さん(1986年卒)が卒業後30年以上ぶりに、友人と立ち寄ったことがあったという。びっくりしたのはその翌々日。次から次へと初めてのお客さんがやって来る。聞いてみると、なんとスピッツのファン。田村さんが森パンを訪れた翌日の静岡県内でのライブで、母校や森パンの話をしたそうで、熱心なファンたちが藤枝まで足を伸ばし、森パンを「聖地巡礼」したという。

「埼玉からって人も来たよ。遠くから来て、うちにまで足を運んでもらって、ありがたかったよ」

学校の前に駄菓子屋があって、学校帰りの生徒たちが立ち寄る、そんな光景は、コンビニやカフェなど、生徒側の消費行動の変化や後継者問題といった店側の事情などにより、姿を消しつつある。

令和の時代、100周年を迎えた藤枝東高では新校舎が完成した。卒業生の思い出深い古い校舎は取り壊され、同じく思い出深い森パンは閉店した。それでもおばちゃんは笑って言う。

「お店は閉めても、みんなが立ち寄れる、サロンのようになればいいなって。私がここにいれば、みんな寄ってくれるら!」

おばちゃんご自慢の、冬は陽があたって暖かく、夏は風が通って涼しい、エアコンいらずの店内で、きょうも立ち寄った卒業生に聞いているだろう。

「あんたの代のサッカー部は誰だね?」

シズサカ シズサカ

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

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