社説(2月11日)国産ジェット撤退 経緯検証し再び挑戦を

 「日の丸ジェット」の商用化は夢で終わってしまうのか。三菱重工業が国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)の開発から完全撤退することを決めた。日本の航空宇宙産業の旗頭であり、経済産業省も計約500億円の国費を投入し、開発を支援した。官民の悲願が挫折した経緯を冷静に検証し、体制を立て直して再挑戦してほしい。
 スペースジェットはプロペラ機「YS11」以来の国産旅客機として、2008年に事業化が決定した。計約1兆円の開発費を投じたが、設計ミスやトラブルで13年の初号機納入予定が6回にわたって延期され、20年10月に事業を凍結していた。
 大きく立ちはだかったのが、各国での商業運航に必要な安全性を認める「型式証明」の取得だ。厳しい要求水準が多岐にわたり、三菱重工は取得のために飛行試験の継続など今後も年間1千億円前後の資金が必要と試算、開発打ち切りの決定打となった。
 三菱重工は取得作業を自前の技術者だけで進めた。自衛隊機などを長年手がけた技術への自信とプライドからだろう。しかし、民間機の世界について、見通しの甘さがあったのではないか。途中から外国人技術者を招き打開を図ったが、撤退発表の会見で泉沢清次社長も「(開発への)理解が不足していたことは否めない」と認めた。
 産業界からは「1社でやる話ではなかった」との指摘もある。民間機事業は競合企業が少なく、参入すれば市場を席巻できる一方、開発段階で巨額の先行投資が求められる。リスクを分散させ、総合力でプロジェクトを成就させるという発想で仕切り直し、複数社による共同企業体などの形でもう一度、“日本の翼”に挑むべきだ。
 100万点もの部品からなる航空機は産業の裾野が広く、地方の雇用創出やものづくりの活性化が期待された。開発担当子会社の三菱航空機は愛知県内にあり、中部圏はいわばお膝元。スペースジェットの開発に関わっていた企業は多く、静岡県内にも部品を供給していた会社がある。
 地域からは失望感も聞かれる。だが、日本は主要国と比べ航空産業の規模が小さく、成長の可能性を秘めていることに変わりはない。
 日本はかつて零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に代表される高水準の航空技術を持ち、敗戦で衰退したが、1960年代には名機「YS11」を生んだ。国産ジェット旅客機は航空産業復興の象徴であり、何としても実現したい。今回は頓挫したが、ここまで積み上げた経験は決して無駄ではない。

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞