Q&A 徳川家康の正室/側室ってどんな人? 何人いたの? それぞれの子どもは? 静岡市歴史博物館の学芸員さんに聞きました

徳川家康(浜松市博物館所蔵「徳川十六将図」をトリミング)と、築山殿(西来院の資料より)
徳川家康(浜松市博物館所蔵「徳川十六将図」をトリミング)と、築山殿(西来院の資料より)

 大河ドラマ「どうする家康」(主演・松本潤さん)で注目される徳川家康は、正室・側室との間に、多くの子どもをもうけました。それぞれどのような人たちだったのか。静岡市歴史博物館の鈴木将典さん(46)に聞きました。

鈴木美晴

Q 徳川家康の正室・側室・子どもたちは何人いたのですか?

鈴木将典さん

最初の正室は、今川氏の一族の娘だった築山殿(つきやまどの)です。 築山殿の死後に嫁いだ2人目の正妻(継室)は、豊臣秀吉の異父妹の朝日姫(あさひひめ)です。

側室については人数が定かではありませんが、10数人と考えられています。子どもは全部で16人。男の子が11人、女の子が5人でした。

鈴木美晴

Q 正室・側室はどんな女性たちだったのですか?

鈴木将典さん

正室の築山殿と、継室の朝日姫は、いずれも家康にとって主君の血縁の女性です。側室は有能な女性が多く、家康は彼女たちに秘書やお金の管理といった仕事を任せていたと考えられています。
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正室と子どもたち
築山殿(つきやまどの)(?~1579年)
駿府(現・静岡市)生まれとされる。父は今川家重臣・関口氏純、母は今川義元の妹という説がある。織田信長に当時敵対していた武田方との内通を疑われ、家康の命を受けた家臣により1579年に佐鳴湖畔(現・浜松市)で暗殺された。
長男・信康(のぶやす)は永禄2年(1559年)、駿府(現・静岡市)生まれ。幼名は父と同じく竹千代で、後に織田信長から「信」の字を与えられて信康と名乗った。家康が浜松城へ移った後、岡崎城主となった。信長の娘・五徳と結婚したが、父の家康と対立して天正7年(1579年)に嫡子としての身分を失う「廃嫡」となり、遠江国二俣城(現・浜松市天竜区)で自害した。清瀧寺(同)に墓がある。
長女・亀姫(かめひめ)は永禄3年(1560年)、駿府(現・静岡市)生まれ。家康が武田氏と戦っていた頃、徳川と武田の領国の境目にいた奥三河の奥平氏を味方とするため、信長と家康の思惑により、奥平氏に嫁いだ。
継室
朝日姫(あさひひめ)(1543~1590年)
旭姫とも記される。羽柴(豊臣)秀吉の妹。天下人となった秀吉が、家康を臣従させるため、夫と離縁させて家康に嫁がせた。家康との間に子どもはなく、天正18年(1590)年に京都で亡くなった。秀吉と家康は朝日姫を弔うため、静岡市葵区の瑞龍寺にゆかりの品を多く寄進した。
側室と子どもたち
西郡局(にしこおりのつぼね)(?~1606年)
三河の武士・鵜殿長忠の養女。家康は家族の信仰を自由にしていて、西郡局は熱心な日蓮宗の信者だった。
二女・督姫(とくひめ)は永禄8年(1565年)、もしくは永禄11年(1568年)生まれとされる。家康が小田原北条氏と同盟を結んだ際、北条氏直に嫁いだ。氏直が亡くなると、織田や豊臣の家臣として活躍して後に徳川に仕えた武将の池田輝政と再婚した。息子たちを連れて面会するなど、駿府で父の家康と盛んに交流していた様子がうかがえる。 お万の方(おまんのかた)(1548~1619年)
知鯉鮒明神(現・愛知県知立市)の神職の娘とされ、家康の側室となって浜松城(現・浜松市中区)に住んだ。
二男・結城秀康(ゆうきひでやす)は天正2年(1574年)、遠江国宇布見村(現・浜松市西区)生まれ。3歳まで父・家康と対面できないなど、冷遇されたと伝わる。後に羽柴(豊臣)秀吉の養子となり、さらに後に下総国(現・千葉県北部と茨城県南部)の結城氏を次いだ。34歳で死去した。 お愛の方(おあいのかた)(?~1589年)
西郷局(さいごうのつぼね)とも呼ばれる。戸塚忠春の娘で、現在の掛川市西郷地区生まれとされる。母の実家の三河の武士・西郷氏に嫁いだが、夫の死後に家康の側室となった。美しく温厚で、人望があったとされる。天正17年(1589年)に駿府で死去した。駿府の龍泉寺(現・宝台院=静岡市葵区)に葬られ、その死を悲しんだ家康は自画像などの品々を寄進した。
三男・秀忠(ひでただ)は天正7年(1579年)、浜松生まれ。家康の嫡男とされ、羽柴(豊臣)秀吉から「秀」の字を与えられた。家康の跡を継いで徳川幕府二代将軍となり、政権の基礎を確立させた。
四男・忠吉(ただよし)は天正8年(1580年)、浜松生まれ。尾張国清洲城主となるが、28歳で死去した。
阿茶局(あちゃのつぼね)(1555~1637年)
武田の家臣で甲斐の武将・飯田直政の娘。夫の死後、家康の側室となった。家康との間に子どもはなかったが、お愛の方の死後、秀忠と忠吉を養育し、家康から最も信頼されていたとされる。大御所時代には家康と共に駿府に住み、大坂の陣で豊臣方との交渉役を務めた。家康の死後、秀忠の娘・和子が後水尾天皇に嫁いだ際には守役(もりやく)を勤め、天皇から従一位を授けられた。
お竹の方(おたけのかた)(?~1637年)
武田の家臣・市川昌永の娘とされる説などがある。
三女・振姫(ふりひめ)は天正11年(1583年)、浜松生まれ。陸奥国会津城主の蒲生秀行に嫁ぎ、秀行の死後は紀伊国和歌山城主の浅野長晟と再婚した。
下山殿(しもやまどの)(?~1591年)
武田信玄の娘婿で、武田滅亡後に家康に味方した穴山信君(梅雪)の養女として家康の側室になったとされる。
五男・信吉(のぶよし)は天正11年(1583年)、浜松生まれ。武田信玄の娘で穴山信君の正室・見性院の養子として甲斐の穴山武田氏を継いだ。21歳で死去した。
お久の方(おひさのかた)(?~1617年)
小田原北条氏の家臣だった間宮康俊の娘とされ、家康が江戸に移った後に側室となった。駿府で死去し、華陽院(静岡市葵区)に葬られた。
四女・松姫(まつひめ)は文禄4年(1595年)、伏見(現・京都市)生まれ。4歳で死去した。
茶阿局(ちゃあのつぼね)(?~1621年)
遠江国金谷村(現・島田市)出身。地誌によると、殺された夫の仇討ちを願い出るため、鷹狩していた家康と会ったところ、見初められて側室になったという異色の経歴を持つ。聡明で、常に家康の近くに仕えたとされる。政治力があり、駿府大御所時代には大名や公家の取り次ぎなど、秘書のような仕事をしていたと考えられている。
六男・忠輝(ただてる)は天正20年(1592年)、江戸(現・東京都)生まれ。父家康とは仲が悪く、死去した際も面会が許されなかったという。
七男・松千代(まつちよ)は文禄3年(1594年)、江戸(現・東京都)生まれ。6歳で死去した。
お亀の方(おかめのかた)(1573~1642年)
石清水八幡宮(現・京都府八幡市)の神職・志水宗家の娘。前夫の子どもとともに召し抱えられ、駿府城や名古屋城で暮らした。
八男・仙千代(せんちよ)は文禄4年(1595年)、伏見(現・京都市)生まれ。家康重臣の平岩親吉の養子となったが、6歳で死去した。
九男・義直(よしなお)は慶長5年(1600年)、伏見(現・京都市)生まれ。甲斐国甲府城主、尾張国清洲城主となるが、幼いため駿府城で暮らした。後に名古屋城へ移り、徳川御三家の尾張徳川家の祖となった。父と同様に学問、能、鷹狩を好み、家康から譲られた書物を元に優れた古典を公開する図書館「蓬左文庫(ほうさぶんこ)」を創設した。
お万の方(おまんのかた)(1577~1653年)
養珠院(ようじゅいん)とも呼ばれる。上総国勝浦(現・千葉県勝浦市)の城主・正木邦時の娘とされるが、伊豆国(現・伊豆半島)出身とする説もある。家康の側室となり、伏見城や駿府城に住んだ。熱心な日蓮宗の信者だった。駿府の感応寺(静岡市葵区)で髪をそって仏門に入る「落飾」をして、家康の供養をした。
十男・頼宣(よりのぶ)は慶長7年(1602年)、伏見(現・京都市)生まれ。常陸国水戸城主となるが、幼いため駿府城で暮らした。慶長14年(1609年)には駿府城主となり、後に紀伊国和歌山へ移され、徳川御三家の紀州徳川家の祖となった。晩年の家康が自ら厳しく育て、意欲みなぎる性格だったとされる。
十一男・頼房(よりふさ)は慶長8年(1603年)、伏見(現・京都市)生まれ。兄・頼宣の後を継いで、常陸国水戸城主となるが、幼いため駿府城で暮らした。子を亡くしたお勝の方の養子となった。徳川御三家の水戸徳川家の祖とされるが、家康の死後はほとんど江戸で過ごした。
お勝の方(おかちのかた)(1578~1642年)
お梶の方(おかじのかた)とも呼ばれる。小田原北条氏の家臣だった太田康資の養女とされ、家康が江戸へ移った後に側室となった。聡明で、駿府大御所時代の家康を支えたとされる。娘の市姫の死後は、頼房を養子とした。
五女・市姫(いちひめ)は慶長12年(1607年)、江戸生まれ。伊達政宗の嫡男・忠宗と婚約したが、わずか4歳で死去した。末娘の早過ぎる死を悲しんだ家康は、祖母・源応尼の菩提寺の華陽院(静岡市葵区)に墓を建てた。

答えてくれた人
静岡市歴史博物館の学芸員・鈴木将典(すずき・まさのり)さん。1976年、東京都生まれ。 戦国時代の今川氏や武田氏、徳川氏の研究が専門。

静岡市歴史博物館
2023年1月13日グランドオープン。徳川家康の生涯や魅力、若き家康を育てた今川氏の活躍、家康により整備された東海道と駿府城下町の様子などを紹介する。2月26日まで、企画展「徳川家康と駿府」として、家康ゆかりの品々を一堂に集めて紹介する。 混雑緩和のため、展示室の観覧はウェブ予約制。同博物館公式サイト「日時指定予約はこちら」のボタンから予約できる。

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