その中には、秋利雄佑内野手(常葉菊川高出)の名前があった。

来季、都市対抗大会に出場すれば、社会人選手の勲章とも言える10年連続出場の表彰を受けることができた。だが、大きな節目を目の前にして、自ら引退を選択した。
「10年表彰の価値を決して否定するわけじゃないけれど、自分はそこを目指してやってこなかった。どうやったらうまくなるか、試合で発揮することができるか、それだけを考えてやってきましたから」
「未練は一切ない」
前所属の三菱重工名古屋から数えて社会人9年目の33歳。チームではコーチ兼任の矢幡勇人外野手(35)に次ぐ年長者だったが、今季の主要大会は2番や6番に入り、シーズンを通してスタメン起用された。

常勝を目指すチームにとって世代交代は必然とはいえ、来季も必要な戦力と見られていた。
「自分が納得して決めたこと。未練は一切ない」
型にはまらない魅力
2021年に再編、統合された三菱重工名古屋からヤマハに移籍して5年。いつも一塁ベース上から、ベテランらしい声かけで、バッテリーと若い内野陣を鼓舞してきた。
関西出身でアメリカ留学経験者。選手としても人としても型にはまらない魅力があった。
主将の大本拓海捕手(掛川西高出)は「僕と副主将の永浜(晃汰内野手)は秋利さんに頼り切りでした。練習の内容や取り組み方など、僕らの判断を尊重しながら必要な時に助言をくれました。(来季の)都市対抗優勝のためにも必要と感じていたので、もう1年やってほしいと伝えたんですが」。引き止めもかなわなかったという。
マインド、知識をチームに還元
大本選手が入団した当初のヤマハは、東京六大学や東都大学リーグなどの名門から選手が集まる東京のチームに対し、どこか引け目があった。ところが、今季の日本選手権準決勝でNTT東日本を撃破したように、二大大会でしのぎを削る立場になった。
「秋利さんのマインドがチームに浸透していき、東京のチームに引かなくなりました。勝ちたいという思い、野球がうまくなりたいという思いが強く、どうすればいいのかを考えて実行できる人で、アメリカでのマインドや知識もチームに還元してくれました。残してくれたものをしっかり継承していきたいです」
視線は次のステージへ
秋利選手の視線は既に、次のステージに向いている。「オギャーと生まれてから今までの分を、これから社業に入って折り返すんです。自分は社会では〝赤ちゃん〟。今までは自分の得意な分野で頑張って来たけれど、今度は人の得意な分野に飛び込んでいくことになる。ただ自分がどうなっていくのか、めちゃくちゃ楽しみなんです。優秀な人たちの一挙手一投足を見逃さないようにして、勝負していきたいです」
視野を広げた米国留学
新しい環境に、臆せず飛び込むことができるのは、通常とは異なる経歴を歩んできたせいだろう。
18歳の時、日本の大学を中退し、米国の大学に留学。英語でのコミュニケーションがおぼつかない中、勉強と野球を両立してスカジットバレー短大を2年で卒業。4年制大学のカリフォルニア州立大ノースリッジ校に編入し、全米大学体育協会(NCAA)1部でプレーしながら約2年半で卒業にこぎ着けた。
>>米国留学についてのインタビューはこちら
「もう一生、勉強したくないっていうくらい勉強しました」と当時を振り返る。
苦労を乗り越えた経験が視野を広げ、自信となって「野球以外のことにも価値を見いだせるようになった」と言う。
三菱重工名古屋での経験
帰国後、高校の恩師で2024年1月に急逝した森下知幸監督の紹介で、三菱重工名古屋のセレクションを受けて入社。当時、三菱重工名古屋では野球部員も毎日出社していた。留学経験を買われ、英語が必要な飛行機部門の部署に放り込まれたという。
「飛行機の部品とか設計とか全く分からなかったけれど、世の中が回っていく仕組みがわかると面白いなと興味が湧きました。20代前半は『野球だけしていたい』と思っていましたが、今になってみるとあの時の経験はありがたかったなと思います」
「どんな仕事も本気で」
12月初旬、引退を決めるや否や、TOEIC受験に向けて英語の教材を購入した。「英会話はできるけれど、文法の勉強をしてこなかったのでやってみようと思って。新しいことをどんどんやっていきたい。どんな仕事でも本気で向き合い、頑張っていきたい」

野球人生を締めくくるにあたり、確固たる人生哲学と去り際の美学を示した秋利選手。新たな舞台でどんな輝きを見せてくれるだろうか。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
あきとし・ゆうすけ 1992年7月31日生まれ。大阪府豊中市出身。浜松市在住。常葉菊川(現・常葉大菊川)高出身。愛知学院大を中退し、米国・スカジットバレー短大を経てカリフォルニア州立大ノースリッジ校を卒業。社会人野球の三菱重工名古屋入り。2019年、2020年の都市対抗野球大会にヤマハの補強選手として2年連続で出場。三菱重工名古屋の再編、統合を受けて2021年にヤマハ入り。
<取材後記>
秋利選手にとってヤマハでの一番の思い出は、入部当時の野手コーチだった佐藤二朗(つぎお)さんと練習に打ち込んだ日々だそうです。元プロで今のヤマハの強力打線の基礎をつくった佐藤さん。ヤマハの補強選手として都市対抗に参加した最初の年に懇意になり、三菱重工名古屋の再編、統合の際は、佐藤さんの存在が決め手となりヤマハからのオファーに迷わず応じたそうです。「この歳になると叱ってくれる人が少なくなる。自分を律せなあかんのだけれど、甘さも出る。怒られたこともあったけれど、信頼してくれた。苦しんでいる時に、さり気ない一言を掛けてくれた」と恩師に感謝。一方で、秋利選手自身も後輩に惜しみなく経験や知識を伝え、時宜を得た声掛けをしていたことが、大本選手の言葉から伝わってきました。







































































