
引退の理由
高原さんは昨季まで、選手兼監督として現場の先頭に立つだけでなく、クラブ経営にも携わってきた。一人で多くの役割をこなさなければいけない環境だった。「チームもJFLに上がり、今までのスタンスだと回らなくなってきた。Jリーグも目指しているので、運営や経営が今の形では難しい。自分もやりきったというところがあったので、経営に専念しようと判断した」と説明。
黄金世代と呼ばれた小野伸二さんらと引退時期が重なったことについては「誰か人に左右されて決断したことはない。これまでも常にいろんな決断が迫られる中で自分自身で決めてきた。小野と同じ年に引退することになったが、偶然。自分の中で選手をやめなさいというサインが出ていたので、そういうタイミングだった」などと話した。
沖縄での活動
沖縄での活動は9年目に入った。クラブ創設時は約400坪の耕作放棄地を切り開いた。「一次産業の課題として担い手不足や耕作放棄地の問題がある。スポーツをなりわいにしている自分たちが関わることで解決できないかと思った。

沖縄らしいものを作りたくて、ハワイのマナコーヒーみたいになったら面白いと思ってコーヒーづくりをしようと。
現在は研究段階。いろんな品種を試してきて、3品種くらいが沖縄に合うことがわかった。宮古島や石垣島など11の農家に苗を提供し、2026年くらいに収穫できるようになる。
いかにやっていることを通して地域を盛り上げられるかだと思っている」などと活動を紹介した。
子どもたちへ
沖縄SVの下部組織では人間形成を重視しているといい、指導者にも「周りに素直に感謝を伝えられるような人間に育ててほしい」と伝えているという。子どもたちに向け「スポーツを通して成長してほしい。自分はプロがない時から海外でプレーしたいという夢を持っていた。夢を持ちながらも、周りでサポートしてくれる両親や監督に感謝できるようになってほしい」とメッセージを送った。

これからのこと
今後もスポーツを通した地域創生を続けていくという。「昨年までは自分の好きなことをやらせてもらっていた。一つやりきった中で、次のステップは、やってきたサッカーを通して、いかにお返ししていけるか。その形が今、沖縄でやっている取り組み。サッカーによって受けてきた恩恵を、サッカーを通して今後は返していきたい」と語った。
