8月のJABA北海道大会で2本塁打を放ち、最高殊勲選手賞に。9月の都市対抗本大会では打率4割6分7厘で首位打者に輝き、長打力、打率ともに驚異の成長を遂げた1年となった。

「やることをやったので祈るしかない。プロでもやれるんじゃないか、という気持ちは去年とは全然違う。どのくらいやれるのか、という楽しみな気持ちもある。(指名されず)ヤマハに残ったとしても上位を打ちたい。そこをしっかり達成したい」
何度はね返されても
大きな壁に何度もはね返されながら、屈することなく立ち上がってきた。申原直樹監督は「寛太は素直で、こんないい子はいないんじゃないかと思うくらい。だからこそ手放したくないですけど。実力も伴ってきましたし、(プロに)行かせてやりたいですね。大卒1年目と同じ年齢で首位打者ですから、たいしたもんです。試合に出られない時があっても『自分がダメだから出られないんだ』と考え、人のせいにしないタイプです。今も伸びてますし、伸び代もあります」と賛辞を惜しまない。

打力が売りに
もともとは守備力が売りの内野手だったが、ここ数年で打力を着実に伸ばしてきた。都市対抗の予選を終えたころから、コーチ兼任の矢幡勇人選手や嶋岡孝太コーチに助言され、メディシンボールを使ったトレーニングの取り組み方を変えた。
「自分の力をしっかり(ボールに)伝えられるように。それまでは体幹を意識してやっていたけれど、右の腹斜筋をしっかり使うという意識に変えました」

飛距離、打率に成果
北海道大会では飛距離に、都市対抗本大会では打率に、目に見える成果が出た。「自分のポイントでしっかり打てるようになりました。今までは差し込まれることが多かったんですが、ボール1個分とか少しの差なんですけど前で捉えられるようになった。無駄な動きがなくなり、自分が思うスイングができています」

薫陶を受けた2人の右打者
矢幡選手や網谷圭将選手ら優れた右打者から学ぶことも多い。網谷選手からは「いい時ばかりじゃない。悪くなる時も絶対あるから、いい時の感覚を覚えておくように。動画でチェックをしておいたほうがいい」と助言され、崩れた時の修正ができるようになった。今季、シーズンを通しての好調維持につながっている。矢幡選手もフォームについて適宜、具体的なアドバイスをくれるという。
勝負、駆け引きを楽しむ
高校卒業後、18歳で社会人に進んだ当初は「ただボールが来たら振るだけだった」。経験を積み、相手投手との勝負、駆け引きを楽しめるようになった。

「打席の中で考えられるようになった。結果が出なかったとしても納得のいく打席もあるし、結果が出たとしても思うような打席じゃなかったらそこは反省しないといけない。結果どうこうでなく、思っていることができたかどうかを重視しています」
目標の舞台へ
10月7日にクライマックスシリーズを控えた巨人1軍と対戦する機会があった。試合前のフリー打撃で岡本和真選手や丸佳浩選手らの飛距離に圧倒された一方、試合では1軍の投手から2安打を放つなど手応えも得た。目標としてきた舞台で、戦う準備は整っている。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
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あいば・かんた 2004年9月21日、静岡県森町生まれ。小1で野球を始め、中学硬式野球の磐田ボーイズでプレー。静岡高に進み、1年秋から正遊撃手に。2年夏の静岡大会は1番遊撃で出場し、同校4年ぶり25度目の夏の甲子園出場に貢献した。2年秋から主将に就任。3年時は春、夏の甲子園がコロナ禍で中止だった。高校卒業後、ヤマハ野球部に入部。25年の都市対抗大会で首位打者に輝いた。22年と24年にU-23(23歳以下)ワールドカップ、23年にBFAアジア選手権に日本代表として出場した。178センチ、84キロ。