大会屈指の右腕として注目された日大三島のエース小川秋月(あつき)投手も、大学を経てプロを目指すことを公言している。186センチの長身から最速148キロの直球を繰り出す右腕は、静岡大会4回戦で静岡に3―5で敗れた。筋金入りの負けず嫌いの小川投手が試合終了後、静岡のエース吉田遥孔(はるく)投手に歩み寄り、笑顔で声をかけた。「俺らの分まで、甲子園に出て頑張ってくれと伝えました」。その後ベンチ前に整列し、相手の校歌を聞きながら、込み上げる悔しさを必死でこらえる姿があった。

「できなかった事を認めて、悔しさを次に生かすということを(監督の)永田(裕治)先生に教えられました。甲子園に懸ける思いは強かったし、負けたことは本当に悔しかったけれど、相手に思いを託すことができたのは、以前の自分にはなかったことだと思います」

マウンドで一喜一憂
千葉県出身。京葉ボーイズ時代にジャイアンツカップで準優勝した実績を持つ。自他ともに認める負けず嫌いで、感情の起伏が激しかった。「中学生の頃は自分のピッチングで1日のテンションが変わっちゃうくらい。完璧に抑えてやろうとする気持ちが強くて、1本打たれるだけで一喜一憂していた。完璧にと思うからこそ、1本打たれたら次は三振とか、マウンドで気持ちが空回りしていました」心の成長を促した「悔しさ」
高校1年春の県大会初戦で公式戦デビュー。だが1年夏は直前にベンチを外され、最初の壁にぶつかった。永田監督から「悔しかったら頑張れ」と言葉をかけられ、「自分のためを思ってのこと」と奮起した。2年の夏は掛川西との4回戦で三回途中からロングリリーフし、1点差で敗れた。「1点もとられなければ、ゼロで抑えれば負けることはない」と悔しさを募らせた。高2の秋からエースナンバーを背負ったものの県大会準々決勝で強打の東海大翔洋に屈した。「以前は自分が抑えて勝ちたいという気持ちが強かったんだと思う。でも自分一人の力じゃ駄目だと思った。みんなでやらないと勝てない、みんなでという気持ちが強くなった」

冬のけが、強いられた我慢と焦り
選抜を逃し、追い打ちをかけるように今年2月、打撃練習中に左の肋骨を骨折。「体幹(トレーニング)もできない。動けてウオーキング程度。じっとしているしかなかった。練習でもサポートで球出し、声出ししかできなかった」。約1カ月が経過してようやく痛みがとれ、徐々にジョギングや自重によるトレーニングができるようになったものの、冬の強化期間に追い込んだ練習ができず。秋はエースで4番という二刀流だったが、春は投手に絞らざるを得なかった。焦りを感じた一方で、自分自身を見つめ直す時間を得た。「冷静に外から野球を見る時間が増え、考える時間ができました。やりたくてもできない、この時間を取り返そうという思いもあって、野球ができた時はすごく楽しかったです」
実戦復帰、最速更新
春の県予選上位決定戦でようやく実戦復帰。あしたか球場で最速を148キロに更新した。永田監督は「ようやく復活の兆しが見えてきたくらい。完全じゃない」と話していたものの、昨夏敗れた掛川西にサヨナラで競り勝つなど粘り強く勝ち上がり、県大会3位に。ここから夏に向けて急ピッチで仕上げた。
「春は投げることに精いっぱい。夏は1試合を一人で投げきれるように、球数を減らすことを意識しました。ゾーンに投げて1球で打ち取れるくらいの真っすぐの強さ。スライダーも真っすぐと同じような投げ方で、 球速も4~5キロアップしました」

受け止めた「力不足」
迎えた夏の静岡大会、浜松修学舎との3回戦は1―1ともつれて迎えた八回途中で登板。エース登場でチームの空気も変わり、延長十回に一挙8点でタイブレークをものにした。静岡との4回戦も四回に逆転し、七回に追加点。逃げ切るかと思われたが八回に4失点し力尽きた。「気付かないうちにスタミナが切れていたのかもしれない。エラーや四球。踏ん張りたいところで踏ん張れなかった。流れもあったと思うけれど、シンプルに打たれて負けた。打線が上だったということ」。突然の終幕だったが、素直に力不足と受け止めた。4年間でドラフト上位候補に
今後は投手1本に絞り、大学4年間を経てプロ入りを目指す。
「今のままでは(プロに入っても)埋もれてしまう。しっかり4年間で土台ができてから勝負したい。ドラフトの上位候補になるピッチャーになりたい。結果が出なくて思うようにいかなくても、高校の経験を生かして、焦らず、絶対にできるという気持ちを持ちながら取り組んで、達成できた時の喜びを感じたい」
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
【取材後記】
千葉県出身の小川投手は一家で千葉ロッテファン。小6のころ、ネット配信で観戦していたロッテ―ソフトバンクの試合で、当時ソフトバンクの千賀滉大投手(大リーグ・メッツ)のノーヒットノーランを見届けて以来、千賀投手が理想の投手になったそうです。
「日大三島に来て良かった」と話してくれた小川投手。高校野球に打ち込む場所として、縁あって静岡県を選んでくれた県外出身の選手たちを今後も「静岡県勢」として、追いかけていきたいと思います。
