
恥ずかしながら「CODA(コーダ)」という言葉を知ったのは、かなり最近のことだ。ご多分に漏れず、2022年日本公開の映画「Coda コーダ あいのうた」がきっかけだった。
ろう者の家族を指す「CODA」という立場は、本作の河合健監督にも当てはまる。両親がともにろう者の河合監督は今年36歳。20歳を過ぎたあたりから、ろう者をテーマに企画を考えていたという。
河合監督を含めた3人の共同脚本で出来上がった本作は、監督自身を一部投影したCODAの夏海(長澤さん)とろう者のコミュニティーをベースにしている。そこに近在のクルド人コミュニティーが関わってくる。ろう者のコミュニティーと社会をつなぐ「窓」のような存在が夏海なら、クルド人コミュニティーの「窓」は日本で生まれ育った移住2世のヒワ(ユードゥルム・フラットさん)だ。
些細なことで二つのコミュニティーがぶつかる。そこに属している人々は、互いに敵意を募らせる。「窓」の二人は戸惑う。「訳せ!」と言われる言葉を伝えれば伝えるほど、事態はややこしくなっていく。それが分かっているから口ごもる。
断っておくが、本作は非常によくできたコメディーである。二つのコミュニティーのぶつかり合いは、観客の視線からは「すれ違い」に見える。話が通じない様子は、おかしみとして受け取ることができる。全編を通じて客席の笑いが絶えなかった。
クルド人に対しては日本に住む一部の人々が、不必要な敵意を募らせている。だが、河合監督が本作にクルド人を登場させたのは、現在進行形の社会問題を前景とするためではない。「みんな、おしゃべり!」に出てくるクルド人は、日本に来る前、トルコに母語を奪われた経験を持つ。トルコ語を強制された過去が、クルド人としてのアイデンティティーを強めた。そんな経緯も会話の中で上手に説明され、彼らの中の二重性が鮮やかに描かれる。
それにしても、驚くべき多言語映画だ。日本語、日本手話、英語、英語の手話、クルド語、トルコ語…。ネタバレになれない程度に挙げるとざっとこうしたところだが、重要な局面では非言語コミュニケーションが大きな力を発揮する。実に痛快な顛末である。
夏海とヒワが互いの「窓」としての立場について、率直な心情を延べ合うシーンが感動的だ。ろう者の家族について、夏海が言う。「うちもね、お父さんが喋ったら皆、ギョッてなる。あの反応って本当に嫌だけど、誰も責められないし、言えないし」。ヒワも言う。流ちょうな日本語で。「どこ行っても外国人扱いが鬱陶しいかな」
そして二人はある実験的な行動に出る。これが笑える。そして、なぜか涙が出てくる。「人はわかり合えない」と紋切り調に言う人は多い。でも、この映画にはそれを打ち消す力がある。人と人だもの、という希望がある。
結末にも笑って泣いた。晴れ晴れとした気分で映画館を出た。
(は)







































































