『サザエさん』が半世紀を超えて今なお愛される気アニメになった理由


SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回は昭和を代表する存在である『サザエさん』についてお話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん

昭和の生活を今に伝える「名人芸」のような国民的アニメ

『サザエさん』のアニメ放送開始は1969(昭和44)年です。原作漫画は、九州の地方紙、夕刊フクニチで1946年に始まりましたが、作者・長谷川町子さんの東京引っ越しに伴って1度は終了。改めて朝日新聞の朝刊でスタートしたのが1951年です。そうして1950年代にはすでに人気作となっていました。

初めての実写化は1948年。このときの『サザエさん 七転八起きの巻』でサザエ役を演じたのは元タカラジェンヌの東屋トン子さんです。東屋さんはもう1作、『サザエさん』映画で主演しています。

当時の日本は、まだアニメ産業が本格的に拡大する以前でした。だから、人気漫画がまず実写になるのは自然なことでした。1956年から1961年までは、歌手の江利チエミさんをサザエ役にして、実写映画10作が制作されています。さらに1965年には江利チエミでドラマ化、1966年には初舞台化もされています。一定の年代以上にとって、サザエさんといえば、浅野温子でも、観月ありさでもなく、江利チエミなのは、こうした背景があるからです。

そんなわけで、『サザエさん』はアニメ化以前に、すでに爆発的な人気がある作品でした。メディアミックス的展開でいうと、アニメ化は最後発という感じですが、アニメ化したことによりもう一度ヒットして、長寿番組になりました。

アニメはヤナセ(輸入車販売)の関係会社だった日本テレビジョン株式会社(TCJ)が制作していました。当時ヤナセはテレビが流行ると考え、自動車ディーラーのようにテレビの受像機ディーラーを設立したんです。これがTCJでした。

ここが本業に加えて、CMのためのアニメーションを制作していたんです。TCJ起業当時、いわゆる「国産アニメ番組」はありませんでしたが、一方でアニメを使ったCMは既にいろいろ流れていました。

こうしてTCJ動画センターが設立され、『鉄腕アトム』放送とともに、アニメ番組のニーズが生まれると、『エイトマン』『鉄人28号』『仙人部落』を手掛けました。そしてこのTCJ動画センターは、アニメ『サザエさん』放送開始となる1969年には、別会社として独立。さらに1973年には、社名を変えて「エイケン」となり、現在まで続いています。

特にアニメに詳しいわけではなかった長谷川町子さんは、アニメ化の話があがったとき、TCJ動画センターがヤナセの関連会社と聞いて、「ヤナセなら車を買ったことがある」と信頼したそうです。

『サザエさん』には原作が8,000本くらいあり、その中から時代を選ばず使えるものが大体2,000本ぐらいが原作対象用としてストックされています。一度使ったネタは数年は使わず、時間が経ったら元に戻すというやり方をとっています。

1969年に始まった『サザエさん』ですが、1985年に一度体制が大幅に変更になりました。それまでは『月光仮面』の実写ドラマなどを手がけていた宣弘社という広告代理店が入っていたのが、今の電通に変わります。この体制変更の中で、大きく仕切り直しがあり、脚本家なども入れ替わりました。当時としては新進気鋭の劇作家だった、映画監督・脚本家の三谷幸喜さんも何回か書いています。ただ三谷さんはほぼ採用されず……。三谷さんも、持ちネタとしてこのエピソードをよく話されていますね。

そういう感じで『サザエさん』を新しくしようという動きが1985年頃にあったのですが、当時のスタッフが、こういう形でいきたいと話をしたら、長谷川町子先生は「今まで通りでいいです」とおっしゃったそうです。原作の数が限られることについても「落語などと一緒で、名人芸は何回繰り返してもいいものですから」とおっしゃったそうです。

このようなことを経て、今に続く『サザエさん』のテイスト、変わらない感じが確立され、半世紀を超えて続くアニメになっていったわけです。

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